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許文道

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許 文道(ホ・ムンド、朝鮮語: 허문도1940年2月26日 - 2016年3月5日)は、大韓民国ジャーナリスト政治家第五共和国大統領府政務秘書官国土統一院長官を務めた。本貫金海許氏[1]全斗煥政権では許三守許和平と共に「スリー」と呼ばれた[2]

経歴

日本統治時代の慶尚南道固城郡に生まれた。釜山高等学校ソウル大学校農科大学、東京大学大学院社会学科卒業。卒業後は朝鮮日報記者東京特派員を務め、1979年駐日韓国大使館の公報官に就任した[2]

1980年新軍部に抜擢され、中央情報部秘書室長、国保委文化公報委員、文化公報部次官、青瓦台政務秘書官、第13代国土統一院長官を歴任した。特に在任中は言論統廃合を主導したほか、1981年5月には文化祭国風81」を開催した。

第6共和国成立以降の1989年国会の公聴会に呼び出された。許は言論統廃合がうまいことだと主張したため、国会に偽証の疑いで検察に告発されたが、その後は無嫌疑処分を受けた[2]

1999年仏教テレビの社長に選任された。2000年第16代総選挙の前に自民連の推薦を受けて出馬しようとしたが、その後は不出馬宣言をした[2]

脚注

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