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諏訪忠尋
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諏訪 忠尋(すわ ただひろ)は、江戸時代中期の信濃国高島藩の世嗣。官位は従五位下・出雲守。
略歴
信濃国高島藩4代藩主・諏訪忠虎の三男(嫡男)として誕生した。母は越前国松岡藩主松平昌勝の娘。幼名は菊之丞、小太郎。正室は永井直敬の娘。
宝永元年(1704年)9月15日、5代将軍・徳川綱吉に初御目見した。宝永6年(1709年)6月27日に従五位下出雲守に叙任された。
享保2年(1717年)に家督相続前に23歳で早世した。戒名は景耀院霊淵空恵。のち正室は、常陸国麻生藩主の新庄直祐に再嫁した。
参考文献
- 『諏訪家譜』(『諏訪史料叢書』第27巻)
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