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豊増昇
日本のピアニスト (1912-1975) ウィキペディアから
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豊増 昇(とよます のぼる、1912年5月23日 - 1975年10月9日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。日本藝術院会員。佐賀県佐賀市出身。
経歴
1933年、東京音楽学校卒。高折宮次、レオ・シロタらに師事。1936年ドイツに留学、1943年東京音楽学校教授。その後、京都市立音楽短期大学教授を経て、1959年に武庫川女子大学音楽部長となった。
1940年にベートーヴェンのピアノソナタとピアノ協奏曲全作品の連続演奏会、 1949年にバッハ死後200年記念ピアノ曲連続演奏会[1]、さらに1950年にもバッハのピアノ曲全作品の連続演奏会をおこなった。1956年、日本人として初めてベルリンフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演した(指揮はヨーゼフ・カイルベルト)。1961年日本芸術院賞受賞[2]、1962年芸術院会員。
1975年、肺癌のため死去。
小澤征爾に、指揮者になる事を勧めた人物でもある[3]。1993年には郷里佐賀で「豊増昇生誕百年記念音楽祭」が開かれた[4]。
外部リンク
- コトバンク(デジタル版 日本人名大辞典)
- 音楽家・豊増昇、欧州へ - 佐賀新聞タイムトリップ―暮らし見続けて125年
著作
脚注
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