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赤松持則

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赤松 持則(あかまつ もちのり)は、室町時代前期の武将

概要 凡例赤松持則, 時代 ...

赤松則祐の子(義則の弟)として生まれる。この年は不明だが、名前()の「持」の字は足利義持(のちの室町幕府第4代将軍)から受けたものとみられ、この場合、第3代将軍・足利義満の1字を受けた満則1366年生まれ)より後に生まれたものと思われる。

康応元年/元中6年(1389年)、将軍・義満が厳島神社に参詣の途上、備前牛窓港で一泊したとき、その接待を務めた[1]。元中8年/明徳2年12月30日、明徳の乱山名氏清山名満幸京都に攻め込んできた際、兄・義則や満則と共に二条猪熊において奮戦して山名軍に勝利するも、戦死した[2]

尚、庶流の別所氏の名跡を継いだとされ、別所持則とも呼ばれる。子孫は赤松家臣の別所氏として続き、別所則治は持則の曾孫とされる。

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脚注

参考文献

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