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赤羽信久
日本の通商産業技官 ウィキペディアから
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赤羽 信久(あかばね のぶひさ、1928年 <昭和3年> 6月14日 - 2008年 <平成20年> 5月12日)は、日本の通商産業技官。科学技術庁原子力安全局長や、科学審議官、新技術開発事業団理事長などを歴任した。
人物・経歴
東京出身[1]。1953年東京工業大学(のちの東京科学大学)化学科卒業、通商産業省入省[2][3]。科学技術庁長官官房総務課長補佐を経て、1968年科学技術庁原子力局放射能課長[4]。1970年工業技術院標準部繊維化学規格課長[5]。1971年科学技術庁原子力局核燃料課長[6]。
1973年通商産業省基礎産業局化学製品課長[7]。1974年通商産業省大阪通商産業局通商部長[8]。1975年工業技術院総務部研究業務課長[9]。1977年科学技術庁長官官房参事官[10]。1979年通商産業省基礎産業局アルコール事業部長[11]。1980年科学技術庁原子力安全局長[12]。1983年科学技術庁計画局長[13]。1984年科学審議官[14]。
1986年新技術開発事業団理事長[15]、新技術振興渡辺記念会理事[16]。1987年東京応化科学技術振興財団理事[17]。2002年勲二等瑞宝章受章[18]。科学技術交流センター監事在任中の2008年、膵臓がんのため死去し[19][20][21]、正四位に叙された[22]。
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著書
- 『高分子化学』経済往来社 1960年
脚註
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