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跡部昌忠

日本の戦国時代~江戸時代初期の武将。甲斐武田家・徳川家の家臣。江戸幕府旗本。甲斐武田家家老跡部勝忠長男で、旗本跡部氏初代当主。右衛門尉 ウィキペディアから

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跡部 昌忠(あとべ まさただ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将甲斐武田氏徳川氏の家臣。

概要 凡例跡部昌忠, 時代 ...

略歴

天文13年(1544年)、跡部勝忠の長男として生まれる。武田勝頼に仕え、使番12人衆・近習番頭などを歴任した。武田氏滅亡後は徳川家康に仕え、侍大将として同心24名を与えられた。本能寺の変織田信長が死去し、甲斐国徳川領になると桜井信忠石原昌明小田切茂富と共に徳川四奉行の1人としてその支配に携わり、寺社宛の禁制などに多く名を残している。

慶長11年(1606年)11月12日に死去。享年63。子孫は江戸幕府旗本として存続した。

なお、武田家中には同姓同名で修理亮を称した別人の跡部昌忠がいる。

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