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辻太郎

日本の鉄道技術者、政治家、華族 ウィキペディアから

辻太郎
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辻 太郎(つじ たろう、1869年8月2日明治2年6月25日〉- 1944年昭和19年〉1月22日[1])は、日本の鉄道技術者政治家華族貴族院男爵議員

概要 生年月日, 没年月日 ...

経歴

東京府出身。文部官僚・辻新次の長男として生まれる[1][2]工部大学校を経て、1886年(明治19年)、アメリカ合衆国に留学し、1890年(明治23年)、ローズ工科大学を卒業[2][3]1893年(明治26年)以降、逓信省鉄道技師、鉄道技師、逓信技師、鉄道院技師、臨時鉄道国有準備局技師、鉄道会議臨時議員、伊那電車軌道取締役、日本化学製油社長などを務めた[2][3]

父・新次の死去に伴い、1915年大正4年)12月24日、家督を相続し男爵を襲爵した[1][4]

1918年(大正7年)3月16日、補欠選挙で貴族院男爵議員に選出され[5]公正会に属して死去するまで在任した[3]

親族

  • 養子:辻周夫(男爵・青木梅三郎五男)[1]

脚注

参考文献

外部リンク

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