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通州区 (北京市)

中国北京市の市轄区 ウィキペディアから

通州区 (北京市)
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通州区(つうしゅうく)は、中華人民共和国北京市に位置する市轄区

概要 中華人民共和国 北京直轄市 通州区, 簡体字 ...
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地理

歴史

1151年天徳3年)、金朝により通州が設置され、潞県が州治とされた。明朝が成立すると洪武年間に潞県が廃止され通州に編入されている。

1291年から1293年にかけて元朝クビライ郭守敬によって大都から通州に至る運河(通恵河)が開鑿された。

1913年民国2年)、中華民国は州制を廃止し、通州は通県と改称されている。

1933年(民国22年)5月31日、日本と中華民国の間で塘沽協定(停戦協定)が結ばれ、通州は非武装地帯に指定される。以降自治を求める民衆運動が盛んとなる。

1935年(民国25年)11月25日、国民政府の殷汝耕が独立し、中央政府と分離した冀東防共自治政府を通州に樹立して自治宣言を行う。通州の三廟に政府を置いた。

1937年7月29日に県北部で通州事件が発生し自治政府保安隊により日本人居留民が大量虐殺される。殷汝耕政府長官が引責辞任。

1938年2月1日、冀東防共自治政府は、昨年12月に成立した北京を首都とする中華民国臨時政府に合流した。

1940年、重慶から亡命した汪兆銘が華北の中華民国臨時政府と華中の中華民国維新政府を統一した中華民国国民政府を樹立。

1949年通県鎮が設置され、 1951年から城壁の破壊が始まる。 1953年通州市と改編された。1958年に通県と通州市は北京市に移管されると同時に通州区とされた。1960年に一旦通県とされたが、1997年4月29日に再び通州区に改編され現在に至る。

2015年12月、北京全域で深刻化する人口過密や大気汚染等の影響を受け、北京市の中枢機能を通州地区へ移転する副都心開発計画(北京行政副中心)が発表された[1]

2019年には通州区の通州文化観光地区にユニバーサル・スタジオ北京の開業が計画されている[2]

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行政区画

要約
視点

この節の参考資料[3]

さらに見る 社区・村 ...
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名所

史跡に関しては、1950年代からの城壁破壊に始まる開発によって多くが破壊され現存するものはごく僅かである。

  • 燃灯台(旧称・文殊塔)- 仏舎利塔。三教廟内に所在、通州を象徴する建築物。「通県誌」では663年の建築としているが正確な建築時期は確定していない。現在の塔は、大地震による崩壊後、1696年に再建したものである。第二次アヘン戦争時に撮影された古写真が現存している。
  • 三教廟 - 孔子廟。公園整備され観光名所となっている。冀東防共自治政府や国民政府の通県役所が置かれていた。現在の建物は燃灯台を除き全て21世紀に復元整備されたもの。
  • 漢代史跡 - 2016年、行政副都心計画の工事中に後漢時代の遺跡が発見されたと発表され、

姉妹都市・提携都市

関連項目

脚注

外部リンク

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