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通済渠

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通済渠
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通済渠(つうさいきょ)は、煬帝605年大業元年)に開削した運河で、京杭大運河を構成する運河の一つである。黄河淮河を結び、洛陽から揚州までの水路輸送を可能にした。

概要 通済渠, 特長 ...

通済渠は東・中・西の三つの区間に分かれ、総延長は約2000里に及んだ。西区間は洛陽を起点とし、洛水とその支流である谷水を水源とした。中区間は現在の滎陽市西部の板渚を起点とし、黄河から取水し東へ流れ、開封市を経て江蘇省盱眙で淮河に注いだ。

通済渠は現在の行政区分で示すと河南省安徽省、江蘇省の3省の18県(市)を通過した。それらは以下の通りである:

通済渠の完成により、黄河、淮河、長江を結ぶ幹線水路が形成され、南から北への穀物輸送において重要な役割を果たした[1]。この運河は隋、五代の5つの時代にわたり通航が続き、その期間は600年以上に及んだ。

南宋時代に政治の中心が南に移ると、通済渠の漕運における重要性は徐々に低下した。さらに、毎年の浚渫や管理が不十分だったため、運河の河床は次第に埋まり、水流が途絶えた。の時代に大運河が再整備された際、河道は直線化され、北京から蘇州杭州まで直接結ばれた。この京杭大運河は、洛陽を経由していた隋唐大運河中国語版と比べて900キロメートル以上短縮された。

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遺跡

安徽省境内

  • 淮北市濉渓県柳孜運河碼頭遺跡中国語版:第五批全国重点文物保護単位に指定され、世界文化遺産大運河」の構成要素となっている。
  • 淮北市濉渓県の濉溪百善村運河故道中国語版:第七批全国重点文物保護単位に指定され、大運河の一部となっている。
  • 宿州市泗県の運河故道泗県段中国語版:第七批全国重点文物保護単位に指定され、大運河の一部となっている。

脚注

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