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逵原実

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逵原 実(つじはら みのる、1917年[1] - 2005年[2]、逵原ミレイ[1]は「辻原」とも書かれる)は、三重県出身の人物。軍歌戦友の遺骨を抱いて』の作詞者である[3]

生涯

1917年大正6年)生まれ[1]三重県立宇治山田中学校卒業。作家吉川英治の青年運動に参加(土の愛の家)。1937年昭和12年)、大日本帝国陸軍近衛歩兵第1連隊に入隊し、華中(中支)・華南(南支)・フランス領インドシナ(仏印)・タイマレーと転戦する[4]1942年昭和17年)のシンガポールの戦いの後、『戦友の遺骨を抱いて』のをしたためた手帳を原嘉章に手渡した。軍の宣伝班の計らいでが付けられ、陣中新聞『建設戦』紙上に発表されると、たちまち全軍に流行した。戦後は郷里に帰還し[3]、三重県多気郡西外城田村(現・多気町)の収入役を3期務める[4]1974年(昭和49年)11月1日から1992年平成4年)3月31日まで二見興玉神社神職を務めたのち、しあわせの宮宮司に就く[5]。全国愛農会文化部長、三重県作詞作曲家協会会長、日本縄文の村協会会長、いくさかたりべの会会長を歴任[4]2005年(平成17年)死去[2]

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著作

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『戦友の遺骨を抱いて』歌碑三重県多気町しあわせの宮

楽曲(作詞)

著書

いずれも「逵原ミレイ」名義による[6]

  • 逵原ミレイ著『新しい土:愛農詞集』愛農会出版部、1952年[7]
  • 逵原ミレイ著『戦友の遺骨を抱いて』戦没万魂慰霊の歌碑を建てる会、1974年[8]
  • 逵原ミレイ著『ひらがな神社のカタカナ宮司:ある社の記録』しあわせの家出版部、1993年[9]

脚注

参考文献

関連項目

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