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三重県立宇治山田高等学校

三重県伊勢市にある高等学校 ウィキペディアから

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三重県立宇治山田高等学校(みえけんりつ うじやまだこうとうがっこう)は、三重県伊勢市浦口に所在する県立高等学校

概要 三重県立宇治山田高等学校, 過去の名称 ...
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三重県立宇治山田高等学校

概要

三重県第四尋常中学校に始まり、旧制宇治山田中学と宇治山田高等女学校を前身とする県下有数の伝統校である。「自主・自立」を学校の目標としている。往年と比べると、近年(とりわけ学校群制度解消後)の進学実績面での成果は振るわない。1995年平成7年)の伊勢高校との三群解消後は、自然科学コースの導入(2005年(平成17年)度募集停止)や2学期制の導入、入試での複合選抜と習熟度別授業の実施、全普通教室への空調設備設置など、学習面での指導体制と環境整備を進めている。また、伝統的に自由で伸び伸びとした校風で知られているが、近年は生徒指導を強化しつつある。斬新な「プラチナの陽はふりそそぎ」で始まる校歌は、草野心平作詞・深井史郎作曲、ヘ短調で始まり曲の中途でヘ長調転調する。通称は「山高」(やまこう)。

創立当初から自由の校風であったわけではなく、大正時代初期の第四中学校は、風紀の取り締まりに厳しかったと当時の生徒が証言している[1]。服装指導はもちろん、時計の所持禁止、映画館劇場の出入り禁止、さらには文芸書を読むことまで禁止されていた[2]。こうした教師による締め付けに対し、生徒は学年を挙げてのボイコットを敢行したり、地元紙の吃驚新聞に教師を揶揄する数え歌を投稿するなどして抵抗した[3]。特に岩田準一は上述の校則を尽く破っていたが、必ず相手を納得させてしまう理由を準備して教師に対峙したため、他の生徒よりも大目に見られていた[4]

設置学科

規模

生徒数

2022年令和4年)4月1日現在[5]

  • 1年生:200人
  • 2年生:198人
  • 3年生:234人
施設
3棟の校舎体育館武道館多目的ホール運動場テニスコートなど。全教室に空調設備が整備されている。
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沿革

私立淑徳学舎~三重県宇治山田高等女学校

  • 1897年 - 私立淑徳学舎創立。
  • 1903年 - 町に移管され山田町立淑徳女学校と改称。
  • 1912年 - 市制施行により宇治山田市立実科高等女学校と改称。
  • 1915年 - 宇治山田市立高等女学校と改称。
  • 1919年 - 県に移管され三重県宇治山田高等女学校と改称。

三重県第四尋常中学校~三重県立宇治山田中学校

三重県宇治山田高等学校~三重県立宇治山田高等学校

  • 1948年 - 学制改革により宇治山田中学校と宇治山田高等女学校が統合、三重県宇治山田高等学校となる。
  • 1955年 - 三重県立宇治山田高等学校と改称。
  • 1956年 - 三重県立伊勢高等学校の創立に伴い、女子生徒のみ受け入れることとなる。
  • 1958年 - 男子生徒の受け入れ再開。
  • 1974年 - 学校群制度導入に伴い、三重県立伊勢高等学校と共に第3学校群を編成。
  • 1995年 - 学校群を解消し単独選抜に戻る 普通科に自然科学コースを設置。
  • 1999年 - 創立100周年記念事業。
  • 2005年 - 2学期制を導入 自然科学コースの募集停止。
  • 2008年 - 制服を制定 県立高校入試制度の改編に伴い、入試を前期と後期に分けて二元化。
  • 2009年 - 創立110周年記念事業。[6]
  • 2019年 - 創立120周年記念事業。[7]
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部活動

2024年令和6年)4月1日現在[8]

本部直属クラブ

運動クラブ

文化クラブ

著名な出身者

前身校

宇治山田高校

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その他

出身中学校

出身中学校別生徒数

上位5校まで、3学年の合計。

2022年令和4年)4月1日現在[5]

  1. 伊勢市立小俣中学校:57名
  2. 明和町立明和中学校 (三重県):51名
  3. 志摩市立文岡中学校:35名
  4. 伊勢市立伊勢宮川中学校:34名
  5. 鳥羽市立鳥羽東中学校:34名

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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