トップQs
タイムライン
チャット
視点
運庵普巌
ウィキペディアから
Remove ads
運庵普巌(うんあん ふがん)は、南宋時代に華中東部で活動した臨済宗松源派の禅僧。松源下2世。
生涯
浙東の明州で生まれる。俗姓は杜氏、字は少瞻。出家の後、石鼓希夷と無用浄全の許で修業し、淳熙11年(1184年)に平江府の澄照禅院の松源崇嶽に参禅した。松源崇嶽に従い常州の報恩光孝寺・無為県冶父山の実際禅院へ移り、18年ぶりに大悟してその法を継いだ。
嘉泰2年(1202年)、兄が故郷の明州に建立した運庵に移る。開禧2年(1206年)、鎮江府の大聖普照禅院の住持となる。以後、真州の光孝寺さらに安吉州の道場山護聖万寿禅寺に歴住。
宝慶2年8月4日(1226年8月28日)寂。その語録として運庵普巌禅師語録が編まれた。虚堂智愚及び石帆惟衍がその法を嗣いだ。
参考文献
- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p1062 1985年
|
|
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads