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那比新宮神社

岐阜県郡上市八幡町那比にある神社 ウィキペディアから

那比新宮神社
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那比新宮神社(なびしんぐうじんじゃ)は、岐阜県郡上市八幡町那比にある神社。『高賀山信仰』における中心となる社(高賀山六社)の一社である。

概要 那比新宮神社, 所在地 ...
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岐阜県関市高賀神社にある「高光公とさるとらへび」の像
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山麓から望む高賀神社の鳥居高賀山

概要

神体が仏像(金銅宝冠虚空蔵菩薩坐像)であることや、平安時代 - 鎌倉時代の懸仏が大量にあるなど、廃仏毀釈以前の神仏習合の形が残っている。

境内のは樹齢300年以上と推測される。境内林全体は「那比新宮神社社叢」として、1962年昭和37年)に岐阜県指定天然記念物に指定されている[1]

※ 御神体の虚空蔵菩薩像(秘仏)を除く文化財は境内の宝物庫に収蔵されている。現在、関係者以外は宝物庫の拝観は不可。

祭神

  • 那比大神
    • 神社本庁発行の「平成祭データ」による。但し、「郡上八幡町史下巻」(1961年(昭和37年)幡町発行)によると、祭神は不明とされている。一説では熊野三山から勧請された神という。
    • 実際の神体は金銅宝冠虚空蔵菩薩坐像である。

沿革

社伝によると、天暦年間、この地に妖怪さるとらへびが住み付き、村人に危害を加えているのを聞いた朝廷は、藤原高光をこの地に遣わせ、妖怪を退治したという(承平3年の説もあるが、藤原高光の生誕年との矛盾がある)。この時、高賀山大本神宮大行事神社(現在の高賀神社)を再建し、七昼夜妖怪退治の祈願をしたという。その後、高賀山麓の六か所に神社(高賀六社)を建立したとされている。那比新宮神社はこの高賀六社の一つとして創建された。

平安時代後期以降は高賀巌屋新宮と称され、神仏習合により独自の信仰形態をとっていた。明治時代の廃仏毀釈の際には、地元住民の手で神仏習合の形態が守られたという。

主な文化財

重要文化財

追記

虚空蔵菩薩坐像は、当神社の神体(本尊)で、像高48.8センチメートル。本体は銅製鍍金、二重円光に唐草文透彫の光背も銅製、九重蓮華の台座は木心に銅板を貼り、鍍金銀を施したもので、全体に精緻な造りになる。懸仏(かけぼとけ)は、銅製円形の鏡板に半肉彫の仏像を貼り付けたもので(鏡板に仏像を線刻したものもある)、当神社には255面[注釈 1]もの多数が伝来する。中には在銘品を含み、最古の年紀を有するものは正嘉元年(1257年)銘の虚空蔵菩薩懸仏である。那比新宮信仰資料は、鎌倉 - 南北朝時代を中心とした、神仏習合の信仰形態を示す資料が豊富に残ることで貴重である。

岐阜県指定重要文化財

※ 御神体の虚空蔵菩薩像(秘仏)を除く文化財は境内の宝物殿に収蔵されている。現在、関係者以外は宝物殿の拝観は不可。

岐阜県指定天然記念物

  • 那比新宮神社社叢[1]
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高賀山六社

高賀山を主峰とした山(瓢ケ岳、今渕ケ岳、片知山など)の山麓にあり、高賀山を囲む6つの神社。かつては六社めぐりという、この六つの社を尾根伝いに一日で歩いて巡る苦行が存在した。

交通

交通機関

自動車

脚注

参考文献

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