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那覇市の地名
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現行の町・字
要約
視点
那覇市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている[1]。
市役所本庁舎以外に、1954年と1957年に2市1村を併合する前の旧市村ごとに、那覇市役所真和志支所、同首里支所、同小禄支所の3支所を設置している。基本的に那覇市はその4地区に区分できるが、那覇新都心が開発されてからは同地区も含めて5つの地域に区分できる。
- 本庁 - 大部分は1954年以前から那覇市であった地域。その後埋め立てにより区域が拡大。
- 真和志 - 戦後、不規則な宅地化(スプロール現象)が進んだ。
- 首里 - 那覇市との合併時から、古都・首里の名を残そうという地元住民の強い願いがあったため、この地域の町名の頭には現在も「首里」の名を冠する。
- 小禄 - ほぼ全域で土地区画整理が進んでおり、住宅街としても整備されている。県外からの移住者の転居地としても人気のある地域といわれている。
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町字の変遷
要約
視点
明治期、市町村制が確立してから現在に至るまでの町や字の変遷を示す。那覇市は市制当初の那覇市(旧那覇区)も含め、3市1村が合併して成立しているが、各旧市村ごとで変遷にも特徴があるため、各旧市村ごとに示す。
市制当初の市域
- 最初期の字
まず、1896年に那覇区として区制施行した時点では以下の字があった。
- 西
- 東
- 若狭町
- 泉崎
- 泊
- 久米
- 久茂地
また、1903年の市域拡大で以下の字が発足した。
- 垣花
- 牧志
- 町名設置
1914年、区全域で町名設置が行われ、字はすべて廃止となった。また、以下の町名は現在までにほとんどが廃止されているが、現存するものには☆印を付す。
- 辻町1〜3丁目(西)
- 西新町1〜3丁目(西)
- 西本町1〜5丁目(西)
- 上之蔵町1〜2丁目(西・東)
- 通堂町1〜3丁目(西・東)
- 東町1〜5丁目(東)
- 若狭町1〜2丁目(若狭町)
- 松山町1〜2丁目(若狭町)
- 上泉町1〜3丁目(泉崎)
- 下泉町1〜2丁目(泉崎)
- 旭町(泉崎)☆
- 壺屋町(泉崎)
- 崇元寺町1〜2丁目(泊)
- 高橋町1〜2丁目(泊)
- 前島町1〜2丁目(泊)
- 久米町1〜2丁目(久米)
- 天妃町1〜2丁目(久米)
- 久茂地町1〜2丁目(久茂地)
- 美栄橋町1〜2丁目(久茂地)
- 松下町1〜2丁目(久茂地)
- 山下町1〜3丁目(垣花)
- 垣花町1〜3丁目(垣花)☆
- 住吉町1〜3丁目(垣花)☆
- 牧志町1〜2丁目(牧志)
その後、1921年に市制施行し、那覇市となった。以下、そこから1960年代までに追加された町名を記す。なお、これらの町もすべて廃止済みである。
1971年以降、中心部は町名整理が行われ、上記の町のうち、☆のついた3町以外すべて整理される。以下、それらの町名を列挙する。これらの大半が1971年に設置されたため、同年設置のものは年表記を略す。
- 泉崎1〜2丁目(泉町3丁目・上泉町1〜3丁目・下泉町1〜2丁目・美栄橋町1丁目・東町3〜5丁目・二中前・松尾)
- 久米1〜2丁目(辻町1丁目・天妃町1〜2丁目・上之蔵町1〜2丁目・松山町1丁目・松下町1丁目・久米町1〜2丁目)
- 松山1〜2丁目(松山町1〜2丁目・松下町1〜2丁目・若狭町1〜2丁目・久米町2丁目・久茂地町2丁目)
- 久茂地1〜3丁目(久茂地町1〜2丁目・美栄橋町1〜2丁目・上泉町2丁目・下泉町1〜2丁目・久米町1丁目・東町4丁目・松山町2丁目・松下町1〜2丁目・松尾)
- 辻1〜3丁目(辻町1〜3丁目・上之蔵町1〜2丁目・西新町3丁目)
- 泊1〜3丁目(崇元寺町1〜2丁目・高橋町1〜2丁目・安里・上之屋)
- 西1〜3丁目(上之蔵町1丁目・西本町1〜5丁目・西新町1〜3丁目・通堂町1〜2丁目)
- 前島1〜3丁目(前島町1〜2丁目・松山町2丁目・重民町)
- 若狭1〜3丁目(若狭町1〜2丁目・重民町)
- 通堂町(通堂町1〜2丁目・西新町1〜2丁目)
- 東町(東町1〜5丁目・天妃町1〜2丁目・上之蔵町1丁目)
- 奥武山町(1974年、通堂町3丁目・鏡原町1丁目・山下町1丁目)
- 垣花町(1974年、山下町1〜2丁目・通堂町3丁目)
- 鏡原町(1974年、鏡原町1〜3丁目・小禄)
- 山下町(1974年、山下町1〜3丁目・垣花町2丁目・小禄)
- 壺屋1〜2丁目(1979年、壺屋町・樋川・与儀・寄宮)
- 牧志1〜3丁目(1979年、牧志町1〜2丁目・壺屋町)
旧首里市
まず、1896年に首里区として区制施行した時点では以下の字があった。
- 赤田
- 赤平
- 町端
- 大中
- 金城
- 儀保
- 久場川
- 崎山
- 寒水川(そんがわ)
- 汀志良次
- 当蔵
- 桃原
- 鳥小堀
- 真和志
- 山川
1906年と1908年に分けて、西原間切から2村編入し、以下の字となった。
- 平良
- 石嶺
1914年、石嶺を除き町名設置が行われ、以下の町が置かれた。
- 赤田町1〜3丁目
- 赤平町1〜2丁目
- 池端町(町端)
- 大中町1〜2丁目
- 金城町1〜4丁目
- 儀保町1〜4丁目
- 久場川町1〜2丁目
- 崎山町1〜4丁目
- 寒川町1〜2丁目(寒水川)
- 汀良町1〜3丁目(汀志良次)
- 当蔵町1〜3丁目
- 桃原町1〜2丁目
- 鳥堀町1〜5丁目(鳥小堀)
- 真和志町1〜2丁目
- 山川町1〜3丁目
- 平良町1〜2丁目
1920年、西原村から以下の字を編入した。
- 大名(西原村時代は「石嶺」)
- 末吉
1921年、市制し首里市となった。そして、大正末期、残された3字も町名設置が行われた。
- 石嶺町1〜4丁目
- 大名町1〜3丁目
- 末吉町1〜3丁目
1954年、那覇市編入にあたり、町名の頭に「首里」をつけることとなり、現在まで存続している。
首里市○○町(n丁目)→那覇市首里○○町(n丁目)
以後、基本的に町名整理は行われていないが、1999年、区画整理に伴い、末吉町4丁目が新設された。(住居表示ではなく地番整理。設置前の旧町字名は不詳)
旧真和志市
- 字
1908年に島嶼町村制により真和志村が発足した当時の字について列挙する。なお、以下の字のうち、現存しないものに×を付す。
- 安里
- 安謝
- 天久
- 上間
- 国場
- 古波蔵×
- 識名
- 仲井真
- 真嘉比
- 松川
- 与儀
戦後、具体的な年は不詳であるが、以下の字が分立し、計23字となった。
- 大道(安里)
- 銘苅×(安謝)
- 上之屋(天久)
- 楚辺(古波蔵)
- 壺川×(古波蔵)
- 二中前×(古波蔵)
- 松尾×(古波蔵)
- 繁多川×(識名)
- 真地(識名)
- 古島(真嘉比)
- 樋川×(与儀)
- 寄宮(与儀)
- 町名設置
以後、順次町名設置が行われている。
- 曙1〜3丁目(1972年、天久・上之屋・安謝)
- 松川1〜3丁目(1972年、松川・大道・繁多川・首里寒川町1〜2丁目)
- 港町1〜4丁目(3丁目まで1972年・4丁目は1980年、天久・上之屋・埋立)
- 安里1〜3丁目(2丁目まで1979年・3丁目は1995年、安里)
- 長田1〜2丁目(1979年、寄宮・国場・上間)
- 松尾1〜2丁目(1979年、松尾・二中前・樋川・牧志町1丁目)
- 三原1〜3丁目(1980年、大道・繁多川・壺屋町)
- 寄宮1〜3丁目(1980年、寄宮・壺屋町)
- 与儀1~2丁目(1丁目は1981年・2丁目は1996年、与儀・楚辺2)
- 楚辺1〜3丁目(2丁目まで1981年・3丁目は年不詳、二中前・楚辺・古波蔵・与儀など)
- 樋川1〜2丁目(1981年、樋川・楚辺・与儀)
- 繁多川1〜5丁目(4丁目まで1982年・5丁目は1986年、繁多川・松川・真地・識名・首里金城町2〜4丁目)
- 古波蔵1〜4丁目(2丁目以降は1983年・1丁目は2013年、古波蔵)
- 識名1〜4丁目(1986年、識名・寄宮・繁多川・真地)
- 上間1丁目(1988年、上間)
- 壺川1〜3丁目(年不詳、壺川など)
- 安謝1〜2丁目(1999年、安謝・天久・銘苅)
- 天久1〜2丁目(1999年、安謝・天久・銘苅)
- 上之屋1丁目(1999年、天久・上之屋・泊1〜2丁目)
- おもろまち1〜4丁目(1999年、安里・安謝・天久・上之屋・真嘉比・銘苅・泊1丁目)
- 銘苅1〜3丁目(1999年、古島・真嘉比・安謝・銘苅)
- 古島1〜2丁目(1999年、古島など)
- 松島1〜2丁目(2丁目は2013年・1丁目は2014年、真嘉比・古島・松川)
- 真嘉比1〜3丁目(2014年、真嘉比・大道・古島・松川)
旧小禄村
- 字
1908年に島嶼町村制により小禄村が発足した当時の字について列挙する。
- 安次嶺
- 宇栄原
- 大嶺
- 小禄
- 鏡水
- 具志
高宮城:1951年、高良と宮城に分割し、消滅。- 当間
1951年、以下の字が分立し、計12字となった。
- 赤嶺(安次嶺)
- 金城×(安次嶺):町名設置により現存せず
- 田原(小禄)
- 高良(高宮城)
- 宮城(高宮城)
- 町名設置
以後、順次町名設置が行われている。
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出典
- 角川日本地名大辞典47.沖縄県
脚註
関連項目
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