トップQs
タイムライン
チャット
視点

酒井忠利 (海軍軍人)

日本の海軍軍人 ウィキペディアから

Remove ads

酒井 忠利(さかい ただとし、安政4年5月12日1857年6月3日) - 昭和18年(1943年2月8日)は、日本の海軍軍人出羽庄内藩主・酒井左衛門尉家の一門で、米津政明の次男、酒井忠発の養子(三男)。伯爵酒井忠良の養大叔父[2]子爵米津政賢の叔父にあたる。備中松山藩主で、子爵・板倉勝定(勝貞)[3]陸軍大将西尾寿造は女婿。従四位勳三等功四級。最終階級は海軍少将

概要 酒井 忠利, 生誕 ...

人物

Thumb
艦長を務めた「吉野

1872年(明治5年)、海兵士官学校に入校。同校は海軍兵学校とは別個の存在で、明治初年のみに存在した海兵隊育成を企図した学校である。しかし在校中に廃校となり、すでに4年在校していた酒井は、3か月の速成教育を受けて卒業した。同じ履歴を有する者に武富邦鼎中野信陽がいる[4]。少尉補となった酒井は砲術や運用術を学ぶため海兵に通学し[5]、「金剛」乗組みを経て少尉に任じられた。日清戦争においては「橋立」副長として、艦長日高壮之丞を補佐して黄海海戦を戦った[6]。以後7艦で艦長を務める。1901年(明治34年)ロシア公使館武官に補され、3年あまり在任した。武官補佐官は広瀬武夫である。日露戦争中は軍令部出仕、佐世保海兵団長、元山防備隊司令官を務める。1905年(明治38年)9月に少将へ昇進し、翌年予備役編入となった。

年譜

Remove ads

系譜

  • 父:米津政明(1830年 - 1899年)
  • 母:不詳
  • 養父:酒井忠発
  • 妻:辰(1868年4月 - 不明) - 栗田正直養女
    • 長男:酒井忠二郎(1889年5月 - 不明)
    • 長女:恵子(1891年3月 - 1960年)- 東京女子高等師範学校附属高校卒業、板倉勝貞妻。
    • 次男:酒井忠三郎(のち忠礼)(1892年10月 - 不明) - 慶応義塾大学理財科卒業、第一銀行員。
    • 三男:酒井小三郎(1893年 - 不明)
    • 四男:酒井清(1895年3月 - 不明)- 東京大学法学科卒業。
    • 次女:敏子(1898年 - 不明)- 学習院女学院専修科卒業、西尾寿造の妻。
    • 三女:利子(1898年3月 - 不明)- 内閣官僚大達茂雄の妻。
    • 四女:歌子(1899年8月 - 不明)
    • 五女:徳子(1901年 - 不明)
    • 五女:千代子(1906年 - 不明)

栄典・授章・授賞

位階
勲章等
Remove ads

出典

Loading content...

参考文献

大名家出身の海軍将官

Loading content...
Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads