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野村不二

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野村 不二(のむら ふじ、1891年11月4日[1][2]-1987年[3])は、日本弁護士(元裁判官)、林業経営者、地方政治家。鹿児島県弁護士会会長、日本治山治水協会理事などを歴任。九州経済林業社長[3]

鹿児島県肝属郡高山村(高山町を経て現肝付町[4][5]前田[2][3]出身。父は高山町長を務めた[4]鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)第五高等学校 (旧制)を経て[2][4]1917年[1]東京帝国大学法科大学を卒業[1][2][4]1918年司法官試補、1919年1923年判事[1]浦和名古屋鹿児島地方裁判所[4])。1921年弁護士登録[1]。判事退官後に鹿児島市で弁護士開業し、鹿児島県会議員に推されて3期10年務める[1][4][5]。第二次世界大戦の鹿児島市街地大空襲で子供を亡くす[2][4]

実家の林業経営もおこない[4]、戦後林業の振興を図り山林の育成に着手[5]1948年鹿児島地方森林会結成と同時に会長[5]。鹿児島県林業経営者協会会長、日本治山治水協会理事、九州治山治水協会理事を歴任し[1][4]1949年(昭和24年)6月2日、鹿児島市に昭和天皇の戦後巡幸が訪れた際には、天皇に「林業治山について」を説明する機会を得た[6]1961年[5] 林野庁長官賞(治山治水)受賞[3]。林業振興により鹿児島県民表彰[3]。弁護士としては鹿児島県弁護士会会長、日本弁護士連合会代議員、国際法曹協会(IBA)常置委員を歴任[1]

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脚注

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