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野田忠二郎

日本の鉄道実業家 ウィキペディアから

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野田 忠二郎(のだ ちゅうじろう、1908年4月1日 - 1992年11月10日)は、日本の鉄道実業家、工学博士[1]阪神電気鉄道社長を務めた。大阪府大阪市出身[1]

来歴・人物

1908年(明治41年)大阪府生まれ。大阪高等学校 (旧制)を卒業後、京都帝国大学工学部電気工学科に入学し、1930年昭和5年)に同校を卒業[2][1]、同年に阪神電気鉄道に入社した[3][1]

技術者として、大型新造車の投入、ジェット・カーの開発などの車両の近代化を進めた[3]1952年5月に取締役に就任し、1957年5月に常務、1965年1月に専務、1967年11月に副社長を経て、1968年(昭和44年)1月12日に社長に就任し、輸送の近代化と乗客サービスの向上に取り組んだ[3][1]1978年(昭和53年)6月から1980年6月までに会長を務めた[4][1]

一方で、1974年(昭和49年)から1979年(昭和54年)までに阪神タイガースのオーナーを務めた[5]

1956年4月には大阪大学工学部講師を務めた[1]

1968年11月に藍綬褒章を受章し、1979年4月には勲二等瑞宝章を受章した[1]

1992年(平成4年)11月10日心不全ために西宮市内の病院で死去[6]84歳没

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家族

妻のいくは置塩章の二女

脚注

参考文献

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