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鈴岡城
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概要
鈴岡小笠原氏の居城である。小笠原氏は政康の死去後、府中(深志)小笠原氏、松尾小笠原氏、鈴岡小笠原氏に分かれて対立したが、鈴岡城は鈴岡小笠原氏の居城であった。
天文23年(1554年)、武田信玄の伊那侵攻に際して松尾小笠原氏の小笠原信貴・小笠原信嶺父子は信濃先方衆として活躍し、松尾城を回復したが、鈴岡小笠原氏[2]の小笠原信定は敗れ、落城した。
毛賀沢川の谷を挟んだ北側には松尾小笠原氏の松尾城があり、その後は松尾城の支城として使用された。現在は鈴岡公園として整備されている。
脚注
参考文献
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