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鈴木弘子 (アメリカンフットボール)
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鈴木 弘子(すずき ひろこ、1964年9月28日 - )は、女子アメリカンフットボール選手。
愛称はBetty(ベティ)[2]。ポジションはオフェンシブライン(OL)のセンター(C)。173cm・65kg(2013年時[1][3])。
2013年に所属したチームは、ロサンゼルスのパシフィック・ウォリアーズで[4]、2016年から選手兼チーム・オーナーに就任した[5]。
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来歴
東京・浅草出身。高校時代はアーティスティックスイミングの選手として活躍[2]していた。共立女子短期大学卒業[7]。
スポーツクラブのインストラクターをしていた1995年、日本の女子社会人アメフトチーム「レディコング」に入る[1](自身がチームのオーナーを務めた時期もあった[8])。
2000年[9][注 1]、単身渡米し入団テストを経て、日本女子のプロ選手第1号となった。2012年シーズンはWFA「サンディエゴ・サージ」に在籍し、全米制覇も経験した[10][11]。
2013年2月、第2回女子世界選手権(同年6月28日〜7月6日・ フィンランド)の米国代表(45人)に選ばれた[12]。大会前までには米国籍を取得する予定で[1]、出場すれば日本人初となるものだった。しかし、大会参加断念に至ったことが6月4日、自身のフェイスブックで明らかになった[13]。代表統括団体の「USAフットボール」が、米国代表としてプレーするために必要な市民権取得に、非協力的だったという本人談もある[14]。
2016年に、所属するパシフィック・ウォリアーズで選手兼チーム・オーナーに就任[15]。3年計画で2018年にはチームを決勝に導いた[16]。2019年のチーム解散後は、新リーグWNFCのサンディエゴ・レバリオンに選手として移籍した。オーナーだった3年間について「一番大変だったのは人間関係。50人近い選手を
2019年末、女子アメフトの殿堂入りを機に、54歳で引退を決意。現役の幕引きについて「引退する理由が出来た」「殿堂入りで私のアメフト人生を終われるのは本当に幸せ」と述べた。12月6日、ネバダ州のラスベガスで行われた記念式典では、アメリカでプレーした20年間を振り返り、感謝の言葉を口にすると、式典の会場にいた全ての人が立ち上がり、表彰された列席者の中で唯一スタンディングオベーションが起きて讃えられた[6]。
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所属チーム
- レディコング(95-00年)
- デイトナビーチ・バラクーダス(00年)[20]
- アリゾナ・カリエンテ(01-02年)[20]
- フィラデルフィア・フェニックス(03春)[20]
- ロングビーチ・アフターショック(03秋、04年)[20]
- ソーカル・スコーピオンズ(05年)
- アンティロープバレー・アタック(06年)
- オールバレー・アタック(07春)
- LA・アマゾンズ(07秋)
- カリフォルニア・クエイク(09-11年)
- サンディエゴ・サージ(12年)[21][22]
- パシフィック・ウォリアーズ(13-19年)[17]
- サンディエゴ・レバリオン(WNFC)(19年)[17][18][19]
メディア出演
脚注
外部リンク
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