トップQs
タイムライン
チャット
視点

鈴木清 (写真家)

1943-2000,写真家。 ウィキペディアから

Remove ads

鈴木清(すずき きよし、1943年11月30日[1] - 2000年3月23日[1])は、日本写真家

来歴

福島県いわき市に生まれる[1]。働いていた炭鉱の閉山にともない、漫画家になることを考えて上京する。そこで、土門拳写真集筑豊のこどもたち』を見て、写真家になることを志す。1969年、東京綜合写真専門学校卒業[1]。同年、全国の炭鉱をまわる「シリーズ・炭鉱の町」を『カメラ毎日』に掲載し、写真家としてデビュー[1]。写真家としての活動のかたわら、看板描きをしながら生計を立てた[1]。1985年以降は、母校の東京綜合写真専門学校の講師を務めた[1]

生前出版された8冊の写真集は、『愚者の船』を除いてすべて自費出版である[2]。写真を撮るだけでなく、レイアウトなどの編集も自ら手掛け、独自の世界観を作り上げる[1]。出身地であるいわき市の炭鉱やその閉山跡、再開発された常磐ハワイアンセンターなどを通して、記憶や生い立ちを自伝的に見つめる写真集『修羅の圏(たに)』などが代表作。同作の題字は、親交のあった写真家ロバート・フランクによるものである。

1983年、個展・写真集「天幕の街」で第33回日本写真協会賞新人賞[1]。1989年、写真集『夢の走り』で第1回写真の会賞[1]。1992年、個展「母の溟」で第17回伊奈信男賞[1]。1995年、個展・写真集「修羅の圏」で第14回土門拳賞を受賞[1]。写真展を開催する際には、ギャラリーのミニチュアを作成することで展示方法を立案した。

2000年3月23日、多臓器不全のため、死去[1]。享年56[1]。死の直後に行われた写真展では、遺された展示案をもとに、教え子の金村修が会場設営を担当した。

Remove ads

写真集

  • 『流れの歌』(1972年)
  • 『ブラーマンの光』(1976年)
  • 『天幕の街』(1982年)
  • 『夢の走り』(1988年)
  • 「愚者の船」(IPC、1991年)ISBN 4871988430
  • 『天地戯場』(1992年)
  • 「デュラスの領土〈DURASIA〉 マルグリット・デュラスのアジア。」(1998年)
  • 『修羅の圏(たに)』(1994年)

回顧展

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads