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長尾景人

足利長尾氏 ウィキペディアから

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長尾 景人(ながお かげひと)は、室町時代後期の武将山内上杉家の家臣である足利長尾氏の祖。下野国勧農城城主

概要 凡例長尾 景人, 時代 ...

通称は新五郎[2]官職但馬守[2]

略歴

長尾実景の次男として誕生。享徳3年(1454年)12月に父と兄・景住関東管領上杉憲忠と共に足利成氏に殺害された為、家督を継いで上杉憲忠の弟・房顕に仕えて成氏と戦った(享徳の乱)。長禄3年(1459年)の太田庄の戦いにも参戦している。

寛正6年(1465年)、房顕の推挙で室町幕府から下野足利荘の代官に任命された。翌文正元年(1466年)年11月、足利荘に入部し、勧農城を拠点とした[3][4][5]。以後、景人の一族は足利長尾氏と呼ばれるようになる。

上杉氏はここを拠点にして応仁2年(1468年)の上野国での綱取原合戦文明3年(1471年)には下野に出陣、古河城を落としている。景人はこれらの合戦に加わったが、翌年になると成氏の反撃によって足利荘に攻め込まれた。

文明4年(1472年)、死去[6]。享年は28と推定される[1]。法名は積翁常善[2]墓所長林寺足利市西宮町[6]

嫡男・定景が跡を継いだ。

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脚注

参考文献

外部リンク

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