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長母寺
名古屋市東区の寺院 ウィキペディアから
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長母寺(ちょうぼじ)は、愛知県名古屋市東区矢田3-13-71にある臨済宗東福寺派の寺院。山号は霊鷲山。本尊は阿弥陀如来。尾張萬歳の発祥地として知られる[2]。


歴史
中世
かつてこの地は尾張国山田郡だった。治承3年(1179年)にこの地の領主であった山田重忠(山田氏)の開基により創建された。当初は天台宗に属しており亀鐘山桃尾寺と号した。
弘長3年(1263年)に無住一円が入寺して以降禅宗寺院となり、山号・寺号が現在の霊鷲山長母寺に改められ、一時末寺93ヶ寺を数えるほど隆盛した。また、無住はこの寺で『沙石集』のほか『正應年中萬歳楽』を著し、これが尾張萬歳の起源となったとされる[3]。
中世には代々武家の帰依を得て北条氏・足利氏・織田氏などから寺領を寄進され、文禄年間(1593年 - 1596年)の太閤検地によって寺領が没収され一時衰退した時期もある。
近世
江戸時代前期の天和2年(1682年)、尾張藩二代目藩主徳川光友の命により、禅僧・雪渓恵恭が再興している。
明和の大洪水
かつて、矢田川橋から菅田あたりは一面大きな池となっていた。矢田川は長母寺の南を流れていたため、長母寺と宝勝寺(現:守山区)とは地続きであった。明和4年(1767年)7月、大雨(明和の大洪水)による矢田川決壊に伴い、矢田川が長母寺と宝勝寺の間を押し破り、流路が変わったことで守山から切り離された。
近代
なお、長母寺付近を流れる矢田川は、1868年(明治元年)、1896年(明治29年)、1903年(明治36年)、1911年(明治44年)、1925年(大正14年)と、明治以降になっても度々洪水を起こしている。1891年(明治24年)10月28日の濃尾地震によって本堂が倒壊したが、1894年(明治27年)に方丈形式で本堂が再建された[2]。絵師の蓑虫山人は晩年を長母寺で過ごし、墓所も長母寺にある。
現代
1999年(平成11年)11月18日には本堂、山門、庫裏が登録有形文化財に登録された。
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文化財


重要文化財
登録有形文化財
交通
- 名鉄瀬戸線矢田駅から徒歩で約5分。
- 名古屋市営地下鉄名城線・名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線(ゆとりーとライン)ナゴヤドーム前矢田駅から徒歩で約10分。
脚注
参考文献
外部リンク
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