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長谷川達海

日本の実業家 ウィキペディアから

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長谷川 達海(はせがわ たつみ、1916年大正5年〉8月30日 - 没年不明)は、日本実業家チッソ興産(現:日祥)元代表取締役社長[1][2][3][4][5]。チッソコーナーカーム コンサルタント元代表取締役社長[1]。孫は元フジテレビアナウンサー長谷川豊[6]。次男は関西右翼の重鎮として活動してきた政治活動家(一日会主宰)の長谷川潤中山嶺雄[1][4]

概要 はせがわ たつみ 長谷川 達海, 生誕 ...

経歴

現在の東京都出身[1][注釈 1]茨城県、長谷川信吉・ナミ夫妻の次男に生まれる[1]1939年(昭和14年)東京商科大学(現:一橋大学)附属商学専門部(高等商業学校に相当する課程、修業年限3年)を卒業[1][4]

同年3月日本窒素肥料(現:チッソ)に入社し、1945年(昭和20年)当時朝鮮半島最大の肥料工場であった興南工場(戦後北朝鮮政府に接収され、現在は興南肥料連合企業所として運営)に勤務[1][7][8]1946年(昭和21年)2月朝鮮より引き揚げ、社長室に勤務。その後、チッソ東京繊維部長を経て、1967年(昭和42年)1月チッソ興産代表取締役専務に就任[1][4]1971年(昭和46年)6月チッソ興産代表取締役社長に就任[1][4]

1981年当時は大阪府吹田市在住であった[1]

人物

趣味はゴルフ、美術鑑賞[1]

エピソード

出典は「『化繊月報 1975年5月号』繊維総合研究所資料頒布会」のp31より。

人と人とのつきあい上の鉄則として、『みえすいたお世辞は、いうべきである』という文言を挙げている[9]

 “みえすいたお世辞は、いうべきである”
 これは、人と人とのつきあい上の鉄則であるらしい。むかし、小生が地方問屋まわりをしていたころ、商談中に鼻たれのジャリどもがウロウロ出てきても、小生は、カンジとして打ち笑い、「かわいい坊ちゃんですね!」などと、よくいったものである。
 お世辞は、お世辞であるとわかっていても、耳に快く、自然に頬がゆるむ。その代り、代償は、ガッチリとフンダクラれるのだ。長谷川達海「社長がもっと“えらく”なるには」、『化繊月報 1975年5月号』p31より引用

家族

脚注

参考文献

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