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長野電鉄2000系電車

長野電鉄の直流特急形電車 ウィキペディアから

長野電鉄2000系電車
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長野電鉄2000系電車(ながのでんてつ2000けいでんしゃ)は、1957年(昭和32年)に長野電鉄が導入した特急形車両

概要 基本情報, 運用者 ...
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概要

1957年(昭和32年)から1964年(昭和39年)までに3両編成4本(12両)が日本車輌製造で製造された。最新機構と上質な設備を兼ね備えた当時の優秀車であり、1950年代後半の地方私鉄の電車としては希有な存在であった。

半世紀にわたって長野電鉄の看板電車としての地位を堅持し、長野市湯田中温泉志賀高原を結ぶ特急列車として運用され続けてきた。しかし、老朽化並びに後継車両の導入により2006年(平成18年)のダイヤ改正ですべてのA特急運用から、2011年(平成23年)のダイヤ改正でB特急運用からも撤退。2012年(平成24年)3月のD編成の離脱をもって、全ての運用から退いた。

編成表

さらに見る 納入年月日, 廃車日 ...
  • ◇:菱形パンタグラフ
  • CONT:主制御器
  • CP:空気圧縮機
  • SIV:補助電源装置(静止型インバータ)

両先頭車が電動車、中間車が付随車のMTM編成で、性能は起動加速度2.6km/h/s、減速度3.5km/h/sとなっている。サハを抜いた2両運転やそれを2両組み込んだ4両運転も可能であるが、そのような実例があっても、冷房装置搭載に際してサハに供給電源となる静止型インバータを搭載したことから「サハ抜き」での運行は事実上不可能となった。

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構造

要約
視点

車体

全長18,600mmの2ドア車体で、プレス鋼材を主骨格構築に用いたセミモノコックの軽量構造である。

湘南顔と呼ばれる2枚窓の前面形状、客用扉配置、2個1組・2段の側窓はいずれも名古屋鉄道5000系 (初代)の影響を強く受けており、また車体断面形状は同じく名鉄5200系と同様で、徹底して曲面基調のデザインである。張り上げ屋根構造を採用したために屋根の肩部が非常に広く、また名鉄5000系と同様にファンデリア装備に伴う薄い二重屋根(モニター)を装備しているために屋根が深すぎるきらいはあるものの、全体には軽快で好ましいスタイルに仕上げられている。

前面は当時の鉄道界で流行だった湘南型亜流の2枚窓であり、前頭部全体が緩やかな曲面を形成しているため、前面窓ガラスについても高価な曲面ガラスを用いて違和感なく仕上げている。当時の地方私鉄電車としてはいち早く角形の尾灯を採用したが、これも名鉄5000系に倣ったものである。

側面には2段窓を2個1組として配置している(後述の冷房化改造時にユニット式に取替)。片開き扉の戸袋は車端寄りに設置され、2連窓が車室両端に1組、扉間に4組配置となっている。運転台のない中間サハはその分扉間のスペースが長く、2連窓5組を配置している。A・B編成では全上昇可能であったが、C編成以降は上段固定となった。

D編成だけはモニターを廃止してファンデリア個々の屋上に小さなカバーを設け、また前面床下にはスノープラウスカートを設けたことで印象が変わった。

また、当初の長野電鉄はタブレット閉塞であり、通過駅でのタブレット授受時には運転台直後の客室窓にタブレット環が激突して、悪くすれば窓を破損する恐れがあった。そこで、運転台直後の窓には、1・2次車では横に2本の棒を渡して簡易な保護棒としていたが、第3編成からは格子状のやや大型の保護枠を装備してより強化している。

車体塗装は当初、赤みの強いマルーンをベースに白の細線を窓下に通していたが、D編成ではマルーンベースで窓周りはクリームという独自のツートン塗装で落成していた。後に全車がリンゴを思わせる赤地に窓回りクリームのツートン塗装となり、さらに1989年から翌年にかけて施工された冷房化工事に伴って、1990年にD編成よりクリーム色ベースに長野電鉄の頭文字「N」をデザイン化した赤いストライプを入れた新塗装に移行した[1]

車内

戸袋部分にロングシートを装備したほかは、2連窓に2脚ずつの回転クロスシートを装備する。この種の車両ではより簡易な構造の転換クロスシートを用いる例が多く、回転クロスシートの採用には乗り心地への配慮が窺える。モケット(表地)は当初青色であった。また第3編成には当時としては珍しかったシートラジオや車内へ音楽を流すためのテープレコーダーも積載していたが、ラジオの受信状況が良くなかったため、すぐに撤去されている。

客室天井は非常に高い。2列配置の蛍光灯は連続カバーを装着し、扇風機の代わりに6基装備されたファンデリアともどもスマートに仕上げられた。貫通路が両開き扉を用いた広幅式であることやつり革がないこともすっきりとした車内見付けに寄与している。

内装は、当時最新の素材であるアルミデコラを用い、薄緑色に仕上げている。

主要機器

台車

台車は日本車輌NA4P形(付随車はNA4形)を採用している。揺れ枕吊りを用いたオールコイルばね台車で、軸ばねについては釣り合い軸ばね式(ゲルリッツ式類似)を用いている。鋼板プレス部材を溶接して組み立てる近代的な台車であり、すでに富山地方鉄道などでの運用実績があった。

2000系のNA4Pについては、1970年代から1980年代にかけて軸ばね部分を一般的なウイングばね式ペデスタル構造に改造する措置が行われている。

なお、D編成のみはベローズ式空気ばね装備のウイングばね台車NA315形を採用している。

モーター

三菱電機製のWN駆動によるモーター「MB3032-A形」(端子電圧340V、定格電流250A、定格出力75kW、定格回転数1,600rpm、許容最大回転数4,000rpm)を採用している。狭軌用WNモーターとしては日本初の75kW形電動機である(詳しくは後述)。

制御装置

三菱電機製の「ABF-108-15形」自動加速式単位スイッチ制御器を奇数電動車に搭載する。当時の私鉄で広まりつつあった「1C8M方式」(制御器1基で2両分8個の主電動機を制御)をいち早く採用し、機器類搭載量の削減を図っている。

また、この制御器は勾配抑速ブレーキ機能を備え、発電ブレーキで一定速度に抑速しての降坂を可能としている。運用線区のうち、ことに山の内線は夜間瀬川沿いに急峻な1000分の40勾配が連続する過酷な山岳路線であり、抑速ブレーキは安全性確保の面から必要性の高い機能であった。

ブレーキ

作動性の高い「HSC-D」電空併用電磁直通ブレーキを採用している。1957年当時は大手私鉄でもようやく導入が始まったばかりの最新式ブレーキシステムであり、地方私鉄としてはほとんど最初の採用であった。

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開発の経緯

沿革・運用

保存車

脚注

参考文献

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