トップQs
タイムライン
チャット
視点

間部詮衡

ウィキペディアから

Remove ads

間部 詮衡(まなべ あきひら)は、江戸時代中期の旗本間部詮房詮之の実弟。徳川家宣家継に仕え、本家から独立し赤坂間部家[1]という分家を興した。

概要 凡例間部詮衡, 時代 ...

生涯

延宝8年(1680年)、西田清貞の四男として生まれる。元禄7年(1694年)から甲府藩主、徳川綱豊(家宣)の小姓を務める。宝永元年(1704年)、家宣が江戸城西の丸入りすると、兄たちと同じく幕臣に取り立てられ、西の丸小姓になった。城内では、侍講の新井白石と、詮房および家宣との間の取次役を務める[2][3]

その後、兄詮之と同じく出世し、正徳5年(1715年)には1550石知行旗本になった。正徳6年(1716年)、7代将軍徳川家継の死によって職を解かれ寄合に列した。享保10年(1725年)、死去。享年45歳。家督は長男の詮長が継いだ。赤坂間部家明治維新まで存続する[4]

略歴

※日付は旧暦

Remove ads

赤坂間部家歴代当主

  1. 間部詮衡
  2. 間部詮長
  3. 間部詮番
  4. 間部詮芳
  5. 間部詮寛
  6. 間部詮徴
  7. 間部詮義

采地

赤坂間部家が支配した知行所の一覧。()内は村高と相給者の人数[10]

  • 三河国
    • 宝飯郡
      • 御馬村(517.464石・五給)-100.159石
      • 市田村(999.204石・四給)-199.8408石
  • 伊豆国
    • 田方郡
      • 南江間村(939.651石・三給)-247.854石
      • 青羽根村(194.636石)-194.636石
    • 君沢郡
      • 平沢村(57.72石・二給)-57.51石
  • 下総国
    • 相馬郡
      • 上高井村(242.432石・三給)-179.242石
      • 酒詰村(540.854石・三給)-538.854石
      • 百井戸村(196.787石・三給)-87.577石
      • 押戸村(739.954石・三給)-262.621石
      • 羽根野村(212.638石)-212.638石

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads