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関ノ戸億右エ門 (1736年生)

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関ノ戸 億右エ門(せきのと おくえもん、元文元年〈1736年〉 - 天明2年4月17日〈1782年5月28日〉)は、陸奥国(現在の岩手県)出身の大相撲力士

概要 関ノ戸 億右エ門, 基礎情報 ...

来歴

現在の岩手県一関市花泉町永井出身[1]

初代伊勢ノ海(幕内・伊勢ノ海五太夫)が開いた伊勢ノ海部屋に入門。頭書は「仙台」。宝暦7年(1757年)10月場所にいきなり前頭筆頭に附け出される形で初土俵を踏む。その後小結から関脇を務め、三役力士としての貫禄を示した[2]

安永3年(1774年)、初代伊勢ノ海が没すると、2代伊勢ノ海を襲名し、二枚鑑札で現役のまま部屋を経営。安永6年(1777年)10月場所限りで現役を引退、年寄専務となり、初代同様仙台藩の後ろ盾を得て勢力を維持する。自ら勧誘した大黒柱の谷風梶之助が角界の第一人者となった(横綱免許は関ノ戸の没後)のを筆頭に、多くの門下生が活躍していた。会所内でも初代同様に本場所興業へ貢献した[2]

天明2年(1782年)、数え48歳で急死。

脚注

参考文献

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