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阿川大樹

日本の小説家 (1954-) ウィキペディアから

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(あがわ たいじゅ、1954年12月1日[1] -)は、日本小説家推理作家コラムニスト随筆家ジャーナリスト作曲家日本推理作家協会会員。神奈川県横浜市在住。

概要 阿川 大樹, 誕生 ...

経歴

要約
視点

誕生から学生時代

東京都で商社マンの家に生まれ、子供の頃は親の転勤により引っ越しが多かったと語っている。中学生の頃から小説家を夢見ていた[2]

東京都立戸山高等学校卒業。高校時代には演劇部に所属し、同部後輩の井坂聡 (映画監督) とはOBとして知り合いになる[3] 。また、生徒会にて制服の廃止を主導したと語っている[4]

東京大学教養学部基礎科学科卒業[5]。在学中、当初は東京大学演劇研究会に所属していた。1975年夏の公演用に脚本を執筆したが、野田秀樹の書いた脚本『白馬童子』と競り合い多数決で負けるという苦い思いをする[6]。1976年に同会を母体として野田秀樹や高萩宏らと共に劇団夢の遊民社」を旗揚げし、同劇団の座付き作曲家となる[7][8]。『ゼンダ城の虜〜苔むす僕らが嬰児の夜』の初演(1981年10月1日~14日、駒場小劇場、ヒロイン「赤頭巾」役=伊藤蘭)での挿入歌作曲などを手掛ける[9][10][11]

会社員時代

大学卒業後、日本電気 (NEC) にコンピュータ技術者および半導体集積回路技術者[12]として勤務。1987年、株式会社アスキーの半導体集積回路部門の責任者となり、テクニカルジャーナリストおよび起業家の道に進む。1990年、半導体関連のベンチャー企業を他6人の創業者と共にアメリカ合衆国カリフォルニア州のいわゆるシリコンバレーに設立[13][14][15]したが、同社は1998年3月に解散登記完了した[16]。阿川は先行する1996年に会社を辞め[2]、著作活動を再開[17]、専業小説家志望者となる。

専業小説家時代

1999年、『天使の漂流』で第16回サントリーミステリー大賞優秀作品賞を受賞[18]

2002年、第3回小学館文庫小説賞に『海の始まる場所』で応募するが、惜しくも「佳作」が不在での次点「優秀作品」となり出版されず。2003年に再び、第4回同賞に『ウィリアム・マッカラムを知らない?』で応募するが、やはり次点の「優秀作品」にとどまり出版を逃す[19]

2005年、『覇権の標的(ターゲット)』(応募時の表題は『スピリット・オブ・サイエンス』)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞優秀賞を受賞[20]し、同作にて小説家デビュー。

2007年、『D列車でいこう』が『本の雑誌』2007年上半期ベスト10に選出される[21]。阿川は、誰もが「必要だ」と共感できる題材として鉄道を選んだと語っている[22]

2009年から2021年までの間、横浜市中区黄金町京急本線高架下にある元特殊飲食店を執筆場所とし[23][2][24]、黄金町エリアマネジメントセンターのアーティスト・イン・レジデンス(AIR)の一員であった[25]。2014年6月に、同町の変貌を描いた長編小説『横浜黄金町パフィー通り』を上梓。同作の発売に合わせて合唱曲『地図をつくろう(黄金町の歌)』を作詞・作曲。同地域の混成合唱団『コールなでしこ』により、7月13日の出版記念パーティや7月14日の第7回国際シニア合唱祭「ゴールデンウェーブin横浜」[26]などで披露された[27][28][29]。また2015年には同長編小説が、同じく黄金町に拠点を置く田口浩一郎主催の「劇団!王子の実験室」により舞台化された[30]

2009年、作家デビュー以前からmixiで知り合いの[31][3]山田あかね原作・監督の映画『すべては海になる』に台詞無しのエキストラとして出演[32]。冒頭の書店シーンにて客として写っている。手には自著「フェイクゲーム」を持っている[33]

2017年2月に『終電の神様』シリーズの第一弾を発売。同作で2017年7月にエキナカ書店大賞受賞[34]。同シリーズは翻訳され、韓国と台湾で順次発売されている。2027年6月のシリーズ5冊目の発売までに、シリーズ累計55万部を売り上げるベストセラーとなる[35]

2018年9月、マンガ『終電ちゃん』とのコラボ企画「終電エピソード大賞」を開催。公募エピソードを阿川大樹/原作・藤本正二/作画でマンガ化[36]週刊モーニング2019年7号に『終電ちゃん 第43話 高崎線の終電ちゃん』として掲載された[37]

2019年、黄金町でつながりのあった韓国のPOPグループ「Kyly」(カイリー)に宛て、『Sakura Storm』を作詞した[38]。同曲は、Kyly のEPアルバム『Signal』の6曲目に収録されている[39]

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人物

趣味はヨットとギター[40]

ヨットの購入費用を捻出するために、サラリーマンを辞めて起業家に転身したと語っている[41]。しかし作家としての道は厳しく、売れていない時代の収入はサラリーマン時代の10分の1程度だったが、「やりたいことができているので幸せ」と語っている[2]。2019年3月より、ヨットとモーターボートの専門誌である月刊「Kazi」に『物書きセーラーの独り言』というエッセイを書いている[42]

ギターは、エレキギターを中心に、2016年現在までに生涯で15本購入したと語っている[43]

アマチュア無線局 (JR1FLD) を開設しており、日本アマチュア無線連盟QSLビューロー経由でのQSLカード交換を行っている[44]

専業小説作家志望者時代の2002年、サッカー 2002 FIFAワールドカップのIMC横浜 (International Media Centre YOKOHAMA) でボランティアを務めた。この時の縁で、フットサル サークルに加入しているが、現在は飲み会専門要員となっている[45]

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作品リスト

小説

エッセイ(本)

連載エッセイ(雑誌等)

  • 月刊ふれいざー 『窓を開ければ港も見える』(Fraser Journal Publishing, Canada)1997年7月号~
  • 月刊Kazi 『物書きセーラーの独り言』(舵社) 2019年3月号~

技術書

脚注

関連項目

外部リンク

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