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阿部正耆
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阿部 正耆(あべ まさひさ)は、江戸時代後期の大名。陸奥国白河藩の第6代藩主。官位は従四位下・播磨守、侍従。忠秋系阿部家14代。
略歴
文政12年(1829年)10月24日、阿部正粹(阿部正精の長男)の次男として誕生。嘉永元年(1848年)に先代藩主・阿部正定が若死にしたため、養子となってその跡を継いだ。嘉永2年(1849年)6月に奏者番となるが、文久の改革で奏者番制度が廃止されたため、文久3年(1863年)4月から江戸、5月には大坂、8月には京都守護職となった松平容保の補佐として、それぞれ警備を務めるなど、佐幕派として行動した。しかし同年12月に病に倒れ、同月20日に死去した。享年36。元治元年(1864年)3月2日死去ともされている[2]。
系譜
父母
正室
- 豊 - 阿部正寧の娘あるいは真田幸栄の娘
側室
- 弦尾
子女
- 阿部正功(次男)生母は弦尾(側室)
養子
脚注
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