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雨森常夫

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雨森 常夫(あめもり[1][2] / あまもり[3] つねお、1903年明治36年[注釈 1]6月22日[1] - 1970年昭和45年)12月12日[2])は、昭和期の農林技官政治家参議院議員

経歴

福井県[注釈 2]で雨森元成の三男として生まれる[1]。1926年(大正15年)東京帝国大学農学部農業土木科を卒業した[1][2]

1926年、農林省嘱託となる[2]。その後、農林技師、京都府農林技師、静岡県農林技師、高知県耕地課長、栃木県耕地課長、農地開発営団企画部調査課長、同東京事務所長、経済安定本部建設局次長、農林省農地局建設部長、京都農地事務局長などを歴任した[1][2]

1953年(昭和28年)4月、第3回参議院議員通常選挙全国区から自由党公認で立候補して当選[1][4]、その後、自由民主党に所属し参議院議員に1期在任した[2]

1970年12月12日、食道癌のため、東京都新宿区慶應義塾大学病院で死去した[3]67歳没。同月14日、特旨を以て位二級を追陞され、死没日付をもって従五位勲六等から従四位勲三等に叙され、旭日中綬章を追贈された[5][6]

脚注

参考文献

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