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雷 (雷型駆逐艦)
雷型駆逐艦 ウィキペディアから
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雷(いかづち)は、大日本帝国海軍の駆逐艦[6] 。 艦名は「カミナリ」または「ナルカミ」の意味[6] 。 同名艦に吹雪型駆逐艦(「特III型、暁型」)の「雷」がある為、こちらは「雷 (初代)」や「雷I」などと表記される。
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艦歴
要約
視点
建造
1897年(明治30年)1月16日にイギリスのヤーロー社と第1回目の駆逐艦建造契約を締結、「雷」はそのうちの1隻になる[4][11]。 同年9月に起工[12]、 1898年(明治31年)3月16日建造中の「第一號水雷艇驅逐艇」を「雷(イカヅチ)」と命名[24]、 3月21日に軍艦及水雷艇類別等級が定められ、「雷」は水雷艇駆逐艇に定められた[5]。 11月15日進水[13]、 1899年(明治32年)2月23日竣工[4]、 引き渡された[14]。
日本回航
当初、分解した上で日本まで輸送も検討されたが、完成させて自力で回航になった。 3月8日[25] グレブセンドをポーツマスに向けて出発[26]、 ジブラルタル[27]、 マルタ[28]、 ポートサイド[29]、 アデン[30]、 コロンボ[31]、 香港[32]などを経て、 5月25日佐世保に到着[25][33]、 6月3日横須賀に回航された[34]。
日露戦争
1904年(明治37年)に日露戦争が勃発した際には第1艦隊第2駆逐隊に所属していた。同年2月8日の旅順港奇襲攻撃にも参加しており、十数日後の2月24日には旅順港閉塞作戦に、5月27日には日本海海戦にも参加している。日本海海戦では、装甲巡洋艦「アドミラル・ナヒーモフ」への魚雷攻撃を行った[35]。
日露戦争後
1905年(明治38年)12月12日、内令第751号で駆逐隊編制が定められ(これ以前は各鎮守府が駆逐隊を定めていた[36])、 「雷」「電」「曙」「朧」の4隻で「第四駆逐隊」(大湊要港部所属)を編制した[37]。 「雷」は以降最後まで「第四駆逐隊」所属だった[38]。
喪失
1913年(大正2年)10月9日、戦闘訓練予行運転のために大湊港を出港しようと午前9時に浮標から舫いを解いて回頭中、9時2分頃に[39] 3番ボイラーが爆発、3番ボイラーは甲板上に噴き上がり、右舷艦底に破口(約4平方メートル[40])が空いた[41]。 死亡1名、重傷4名、軽傷12名、行方不明1名[42] (行方不明者は14日午後4時に後罐室で遺体を発見、収容された[43])。 兵器を揚陸[44]、 負傷者の搬送を始め[40]、 浮船渠に入渠させようと曳航中に船体中央部が折れ曲がった[41](3番煙突と4番煙突の間で約10度の角度で逆「く」の字になる[45][46])。 浮船渠の舷側に横付けしたまま移動し[42]、 船体を浅瀬に擱座させた[47]。 その後も浸水と海底が軟泥の為に徐々に船体が沈降[42]、 乗員は陸上に収容した[44]。 船体引き上げに約16,100円、復旧修理に約45,200円かかると推算され、売却処分が適当と判断された[48]。
11月5日除籍[8][6]、 艦艇類別等級表からも削除された[49]。 11月11日には強風が吹き荒れ、午後4時頃に船体の後部が全て水没した[50]。 12月1日、「雷」は第四駆逐隊から除かれた[51]。
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艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 回航委員長
- 矢島純吉 少佐:1898年10月19日 - 10月28日
- 石田一郎 少佐:1898年10月28日 -
- 艦長
- 笠間直 少佐:1901年6月22日 - 8月30日
- 広瀬順太郎 少佐:1901年8月30日 - 1903年7月7日
- 三村錦三郎 大尉:1903年7月7日 - 1904年9月11日
- 斎藤半六 少佐:1904年9月11日 - 1905年12月12日
- 駆逐艦長
- 大谷幸四郎 大尉:1905年12月12日 - 1906年1月25日
- (兼)富永寅次郎 大尉:1906年1月25日 - 7月3日
- 和田博愛 大尉:1906年7月3日 - 9月28日
- (兼)井上猪之吉 大尉:1906年9月28日 - 1907年1月12日
- 大内田盛繁 少佐:1907年1月12日 - 7月1日
- (兼)富永寅次郎 大尉:1907年7月1日 - 11月22日
- (兼)山根米吉 少佐:1907年11月22日 - 12月18日
- 人見三良 大尉:1907年12月18日 - 1908年4月20日
- 岩室哲次郎 大尉:1908年4月20日 - 7月11日
- (兼)井上鉄治 大尉:1908年7月11日 - 9月25日
- 小泉親治 大尉:1908年9月25日 - 11月20日
- 田中漸 大尉:1908年11月20日 - 1909年2月25日
- 井戸玖吾 大尉:1909年2月25日 - 12月1日
- 柴田菊枝 大尉:1909年12月1日 - 1910年4月1日
- 岡本郁男 大尉:1910年4月1日 - 1911年6月28日
- 朝田外次郎 大尉:1911年6月28日 - 1912年5月22日
- 中川文一 大尉:1912年5月22日 - 1913年5月24日
- 下川包蔵 大尉:1913年5月24日 -
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脚注
参考文献
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