香港(ホンコン[注 2]、中国語: 香港; イェール式広東語: Hēunggóng; 拼音: Xiānggǎng、英語: Hong Kong)は、中華人民共和国の南部にある特別行政区である。正式名称は香港特別行政区(ホンコンとくべつぎょうせいく)。
公用語 | 広東語、中国語[注 1]、英語 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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主都 | (政府総部所在地は金鐘添馬) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
最大の都市 | 香港 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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通貨 | 香港ドル(HKD) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
時間帯 | UTC+8 香港時間 (DST:なし) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ISO 3166-1 | HK / HKG | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ccTLD | .hk | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
国際電話番号 | 852 |
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(地域の旗) | (地域の紋章) |
香港 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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中国語 | 香港 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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香港特別行政区 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
繁体字 | 香港特別行政區 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
簡体字 | 香港特别行政区 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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同じ特別行政区でポルトガルの植民地であったマカオは南西に70km離れている[4]。東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、途中日本による占領を挟むも、150年以上にわたってイギリスの植民地であったことで世界に知られている。
1,104 km2 (426 sq mi)の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である[5]。広大なスカイラインと天然の深い港湾を抱える自由貿易地域であり、アジア四小龍の内の1地域。2016年の「中期人口統計」によると、香港の人口は、92%が華人、8%はその他の民族である[6]。
香港は東京、ロンドン、ニューヨーク、シンガポール、上海と並ぶ世界都市の一つであり、世界的に重要な国際金融センターに格付けされ、経済自由度指数が世界で最も高く、低税率および自由貿易を特徴とする重要な資本サービス経済を有し、通貨の香港ドルは世界第8位の取引高を有する[7]。
香港は世界有数の1人当たりの所得を有するが、先進経済諸国有数の所得格差もまた存在する[8]。スペースの不足により高密度な建造物の需要が生じ、現代建築および世界で最も垂直な都市の中心へと都市は開発され[8]、世界で最も超高層ビルが多い地域となっている[9]。高密度な空間は高度に発達した交通網ももたらし、公共交通機関の利用率は90%を超え、世界第1位である。香港はさまざまな側面、例えば、経済的自由並びに金融および経済的競争力において多数の高い国際ランキングを有する[10]。人間開発指数は全面的に高く順位付けされ、知能指数は世界で最も高い地域にもなっている[11]。隣接する中国本土からのPM2.5による大気汚染とスモッグは香港市民の健康面への影響は懸念されるが[12][13]、香港市民は男女ともに平均寿命で世界一[14][15][注 3] になるなど非常に長寿である。
香港は複数政党制であるものの、立法会の90議席のうち70議席を少数の有権者が支配し、先進経済諸国・地域の中では政治的権利において最下点で欠陥民主主義に分類される[16][17][18]。中国政府は1997年の返還後50年間は香港体制に干渉しないという一国二制度(繁: 一国兩制)体制を約束したが、香港の自由と民主主義侵害を懸念するデモが発生している。2020年、国家安全維持法が香港に適用され、各国は「一国二制度」が有名無実化した事実上「一国一制度」であると表明している[19][20][21][22][23][24][25]。
香港という名称は珠江デルタの東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾と沿岸の村の名前に由来する。現在の香港島南部の深湾と黄竹坑にあたる。英語や日本語でのホンコンという呼び方は広東語(厳密には蜑民の言葉・zh:蜑家話)によるとされる。標準中国語では、香港を「Xiānggǎng」(シアンカン)と発音する。
中国語での別名に香江があり、略称は港。英文での略称はHK。
香港の広東語話者の大多数は主に隣接する広東省が起源であり[26]、1930年代から1960年代に中国での戦争や共産主義体制からイギリスの植民地であった香港に逃れて来た人々である[27][28][29][30]。1839年から1842年のアヘン戦争後、香港は大英帝国の植民地として設立された。香港島が最初にイギリスに永久割譲され、1860年に九龍半島が割譲、1898年には新界が租借された。
太平天国の乱(1851年〜1864年)、義和団事件(1900年〜1901年)、辛亥革命(1911年〜1912年)、日中戦争(1937年〜1945年)などが原因で、香港には難民が続々となだれ込んだ。植民地人口の約半分が香港島に住み、残りは九龍半島または舟に居住した。島の方は岩肌に水が浸透しないため、設備なしには真水の供給が難しかった。1885年、香港で利用可能な水は1人1日あたり18リットルであった。1918年になると設置できる土地は貯水池とそこまでの水路でほぼ埋まり、島表面積の3分の1にもなった。それでも人口増加による水需要の増加には追いつかなかった。新界も状況は似て、1936年に大規模なジュビリー・ダムを完工したにもかかわらず、1939年の時点で24時間給水は雨季にしかできなくなっていた。当時香港全体で1人1日あたりの水消費量は75リットルと推定されている[31]。第二次世界大戦 (1941年〜1945年) 中、日本軍とイギリス軍・香港義勇軍の間で香港の戦いが勃発したが、まもなくして前者が勝利し日本の占領が1945年8月まで続いた。戦前から2011年現在まで、香港は慢性的な水不足に悩まされている[32]。問題が激化した1960年代には中華人民共和国から水の輸入を増やしてパイプライン(東深供水プロジェクト)も築かれた[33]。水不足問題は後に、租借していた新界のほか割譲されていた香港島・九龍も含めた香港全領域を返還せざるを得ない状況にイギリスを追い込むことになる。
戦後は中華民国に返還されずにイギリス統治が再開され、1997年まで続いた。一方、植民地時代の積極的不介入方針は香港の文化および教育制度の形成に大きく影響した。なお、香港の教育制度はおおむねイギリス式であったが、その後2009年に制度改革が実施された。1989年に北京で六四天安門事件が発生すると、香港では再び移民ブームが巻き起こった。大部分の香港からの移民はイギリス連邦の構成国であるカナダのトロントやバンクーバー、オーストラリアのシドニーやメルボルン、シンガポールに向かった。イギリスは中華民国ではなく中華人民共和国をその返還・移譲交渉相手に選び、中華人民共和国間との交渉と英中共同声明の結果として、香港はイギリスから中華人民共和国に返還および譲渡された。一国二制度の原理の下、1997年7月1日に最初の特別行政区になった。1999年12月にポルトガルから移譲されたマカオも特別行政区である。
現在[いつ?]も香港は中華人民共和国とは異なる法制度・政治制度を有する。香港の独立した司法機関はコモン・ローの枠組みに従って機能する[34][35]。英中共同声明において正式に記された条項に基づいた返還以前に、中華人民共和国側により起草された定款である香港特別行政区基本法において香港の政治は行われ[36]、国際関係および軍事防御以外の全ての事柄において高度な自治権を有することを規定している[37]。なおこの自治権は中国中央指導部の委任・承認に基づき地方を運営する権限であり、完全な自治権、地方分権的なものではないとされる(2014年6月10日中国国務院白書)。
香港は、香港島、九龍半島、新界および周囲に浮かぶ263余の島を含む。面積は東京23区の約2倍、沖縄本島や札幌市と同程度に当たる。
ランタオ島(大嶼山)は香港島の2倍の面積を有する香港最大の島であり香港国際空港の空港島が隣接している。2005年9月には島内にディズニーランドが開園した。
香港の地形は山地が全体に広がり、香港全土の約60%、約650平方キロメートルを占める[45]。最高標高は958メートルの大帽山である。中国本土との境界地域に広がる元朗平原を除き平地は少ない。元朗平原付近の海岸部には湿原が広がる。また、沿海の一部地域に柱状節理や堆積岩が分布しているため、ユネスコ世界ジオパークにも指定されている[46]。
温帯夏雨気候(熱帯モンスーン気候 - 温暖湿潤気候移行部型)に属し、秋・冬は温暖で乾燥しており、春・夏は海からの季節風と熱帯低気圧の影響で高温湿潤という気候である。
秋はしばしば台風に襲われ、スターフェリーやマカオへ向かう水中翼船などの船舶や航空便、トラム路線が運行停止になることもある。台風の警報が発令されると各種イベントが中止となるだけでなく、学校や企業、官公庁も休業となる。
冬は北風により中国本土の粉塵、工場や自動車の排ガスが流入することが多く、近年はそれによる霧や靄がしばしば発生している。九龍、香港島地区では、最低気温が10度を下回ることもあり、新界地区では、最低気温が5度を下回ることもあり、凍死者も出るため気温低下が予測される日には暖房設備を準備した公共施設を開放することがある。
香港(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 26.9 (80.4) |
28.3 (82.9) |
30.1 (86.2) |
33.4 (92.1) |
36.1 (97) |
35.6 (96.1) |
36.1 (97) |
36.6 (97.9) |
35.9 (96.6) |
34.3 (93.7) |
31.8 (89.2) |
28.7 (83.7) |
36.6 (97.9) |
平均最高気温 °C (°F) | 18.7 (65.7) |
19.4 (66.9) |
21.9 (71.4) |
25.6 (78.1) |
28.8 (83.8) |
30.7 (87.3) |
31.6 (88.9) |
31.3 (88.3) |
30.5 (86.9) |
28.1 (82.6) |
24.5 (76.1) |
20.4 (68.7) |
26.0 (78.8) |
日平均気温 °C (°F) | 16.5 (61.7) |
17.1 (62.8) |
19.5 (67.1) |
23.0 (73.4) |
26.3 (79.3) |
28.3 (82.9) |
28.9 (84) |
28.7 (83.7) |
27.9 (82.2) |
25.7 (78.3) |
22.2 (72) |
18.2 (64.8) |
23.5 (74.3) |
平均最低気温 °C (°F) | 14.6 (58.3) |
15.3 (59.5) |
17.6 (63.7) |
21.1 (70) |
24.5 (76.1) |
26.5 (79.7) |
26.9 (80.4) |
26.7 (80.1) |
26.1 (79) |
23.9 (75) |
20.3 (68.5) |
16.2 (61.2) |
21.6 (70.9) |
最低気温記録 °C (°F) | 0.0 (32) |
2.4 (36.3) |
4.8 (40.6) |
9.9 (49.8) |
15.4 (59.7) |
19.2 (66.6) |
21.7 (71.1) |
21.6 (70.9) |
18.4 (65.1) |
13.5 (56.3) |
6.5 (43.7) |
4.3 (39.7) |
0.0 (32) |
雨量 mm (inch) | 33.2 (1.307) |
38.9 (1.531) |
75.3 (2.965) |
153.0 (6.024) |
290.6 (11.441) |
491.5 (19.35) |
385.8 (15.189) |
453.2 (17.843) |
321.4 (12.654) |
120.3 (4.736) |
39.3 (1.547) |
28.8 (1.134) |
2,431.2 (95.717) |
平均降雨日数 (≥0.1 mm) | 5.70 | 7.97 | 10.50 | 11.37 | 15.37 | 19.33 | 18.43 | 17.50 | 14.90 | 7.83 | 5.70 | 5.30 | 139.90 |
% 湿度 | 74 | 79 | 82 | 83 | 83 | 82 | 81 | 81 | 78 | 73 | 72 | 70 | 78 |
平均月間日照時間 | 145.8 | 101.7 | 100.0 | 113.2 | 138.8 | 144.3 | 197.3 | 182.1 | 174.4 | 197.8 | 172.3 | 161.6 | 1,829.3 |
日照率 | 43 | 32 | 27 | 30 | 34 | 36 | 48 | 46 | 47 | 55 | 52 | 48 | 41 |
出典:香港天文台[47][48][49] |
香港の政治の特徴は香港返還(主権移譲)後に施行された一国二制度にある。この制度に基づき、香港は社会主義国である中華人民共和国の中で2047年まで資本主義システムが継続して採用されることになっている。政治的には、植民地時代の行政、官僚主導の政治体制から、民主化・政党政治への移行が期待されたものの、中華人民共和国からの度重なる介入により民主化の後退が懸念される事態に直面している[50]。
1997年に香港は香港特別行政区として改編され特別行政区政府が即日成立した。香港特別行政区は中華人民共和国において省や直轄市と同等(省級)の地方行政区とされる。しかし中華人民共和国憲法第31条および香港特別行政区基本法に依拠し、返還後50年間は一定の自治権の付与と本土(中国大陸)と異なる行政、法律、経済制度の維持が認められている。そのため、香港は「中国香港」(英:Hong Kong, China)の名称を用い、中華人民共和国とは別枠で経済社会分野における国際組織や会議に参加することができる。(詳細は香港の対外関係を参照のこと。)
しかし、香港は「港人治港」として「高度な自治権」を享受しているが、外交権と軍事権以外の「完全な自治権」が認められているわけではない。2019年の逃亡犯条例改正案検討、さらに2020年、国家安全維持法が香港に適用され、各国は「一国二制度」が崩壊しもはや「一国一制度」であると表明している[20][21][22][23][24][25][51][52]。
首長である行政長官は職能代表制として職域組織や業界団体の代表による間接、制限選挙で選出されることになっており、その任命は中華人民共和国国務院が行う。香港の立法機関である立法会の議員(定員70人)は、半数(35人)が直接、普通選挙によって選出されるが、残り半数(35人)は各種職能団体を通じた選挙によって選出される。
行政長官と立法会議員全員の直接普通選挙化をどの時期から開始するか、香港返還直後から議論になっている。2007年12月29日に全国人民代表大会の常務委員会が、行政長官の普通選挙の2017年実施を容認する方針を明らかにしたものの、立法会議員全員の直接選挙については今なお時期について言及していない。
司長や局長(英語ではいずれもSecretary、閣僚に相当する)は行政長官の指名により中華人民共和国国務院が任命する。行政長官と司長局長クラスに限っては中国籍の人物でなければ就任できないが、それ以外の高級官僚(部長クラスなど)にはイギリス人やイギリス連邦諸国出身者も少なくなく、新規採用も可能である。
香港基本法の改正には全国人民代表大会の批准が必要であり、香港特区内では手続きを完了できない。同法の解釈権も全国人民代表大会常務委員会が有している。香港の司法府である終審法院の裁判権は香港特区内の事案に限定され、香港が外地ではなく、独立という選択肢がない中国の不可分一体の領域であるためである[53]。
現在、基本法によって香港では集会の自由や結社の自由が認められているため、中国本土とは異なり自由な政党結成が可能であり、一定程度の政党政治が実現していた。香港の政党は民主派(民主派〈中国語版、「泛民主派」とも〉、Pan-democracy camp)と「親中派」(建制派〈中国語版〉、Pro-Beijing camp)に大別され、立法会議員全員の普通選挙化について、民主派は2016年からの実施を、親中派は2024年からの実施をそれぞれ主張していた。しかし、民主派は徹底的に弾圧され、現在は、愛国者検査があり、共産党を礼賛する人間以外は立候補すらできない。
2023年、カナダと米国のシンクタンクが合同で発表した「2023年世界自由度ランキング」において香港のランキングは、2010年には世界3位だったものが46位にまで下落している[54][55]。
香港には、18の行政上の下部地域がある。1982年に区議会が設置されたことに由来する。その後、九龍地区から新界への人口移動に伴い、区の再編が行われている。1985年に、荃湾区から葵青区が分離した。1994年には、油尖区と旺角区が合併し、現在の油尖旺区となった。
中華人民共和国本土とは異なり、「香港特別行政区基本法」に基づき、英米法(コモン・ロー)体系が施行されている。基本法の規定により、本土の法律は「別段の定め」がない限り香港では施行されない(広深港高速鉄道開業に関しては後述)。基本法の解釈問題以外の法体系はイギリス領時代と全く同一である。従って死刑制度も存在しない。独自の法執行機関も保有している(香港警務処)。
返還によりイギリス領ではなくなったためにロンドンに枢密院を求めることはできなくなった。そのために1997年7月の返還と同時に裁判も原則として、香港特区内で完結する必要性が生じた。そのため、返還後、最高裁判所に相当する終審法院が設置された。この時点で新たに設置の終審法院の判事のために5人以上のベテラン裁判官がイギリスから招聘された。返還後の司法体制のために旧宗主国から高官に当たるイギリス人の人材を新たに招くという「珍事」は中央政府が英米法を厳格に適用するための人材について不足していることを率直に認めたことを表しており、意外な「柔軟性」あるいは「現実適応性」を確認する事象であったといえる。
終審法院の下には高等法院(高裁)、区域法院(地裁)、裁判法院(刑事裁判所)などがある。裁判は三審制である。ただし、基本法の「中央に関する規定」および「中央と香港の関係にかかわる規定」につき、条文の解釈が判決に影響を及ぼす場合、終審法院が判決を下す前に全国人民代表大会常務委員会に該当条文の解釈を求めることとされる。
香港は中国の一部ではあるものの、香港と本土との行き来は出入国に準じた取り扱いとなっている。2018年9月23日に香港と本土を結ぶ広深港高速鉄道(香港西九龍駅〜広州南駅)が全線開通したことに伴い、同鉄道内で唯一香港に設置された香港西九龍駅では、香港と本土の出入境管理が行われるようになった。このため、同駅構内に引かれている黄色い線より片方は本土の警察が駐在することとなり、その先に本土の入域審査場と税関がある。中央政府と香港政府は香港内で出入境手続きを済ます「一地両検」について「乗客の利便性を考えた」としている[56]。
中国の一部である香港に外交権はないが、基本法の規定により香港特別行政区は経済社会分野の条約の締結、国際会議や国際機構への参加が認められている。対外実務に関しては中央政府の出先である外交部駐香港特派員公署が管轄している。
経済分野では香港政府独自の域外・在外代表部を置いている。国外の香港経済貿易弁事処は商務及経済発展局が管轄し、中華人民共和国本土にある駐北京弁事処と駐粤経済貿易弁事処は政制及内地事務局が管轄している。駐北京弁事処は政務司司長(政務長官)の管轄であったが、2005年の行政長官施政方針において対中央政策を政制事務局(後の政制及内地事務局)に集中させる方針が出され現在の形態となった。
台湾の航空機や船舶の香港乗り入れや台湾人の香港への旅行条件は返還前と変わらないが、航空機や船舶に中華民国の国旗である青天白日満地紅旗を塗装・掲揚することは事実上禁止されている。香港返還を控えた1995年に、チャイナエアラインの保有する航空機の塗装が塗り替えられ、青天白日満地紅旗に代わり新しいコーポレートシンボルの梅の花が垂直尾翼に描かれるようになった。
香港人が中国本土へ入境する際には、パスポートや香港身分証の代わりに「港澳居民来往内地通行証(回郷証)」が必要とされる。
出入境管理は中国大陸とは別個に実施されており、査証も異なる。ただし、先述の通り経済分野以外の在外駐在機関がないため、申請は各地にある中国大使館が窓口となっている。
1997年の香港返還以来、中国本土の大幅な経済成長により民間交流は活発化している。例えば中国本土から香港の大学に入学し香港で就職する内地人が4割、香港から中国本土の大学に入学し就職する香港人が6割という現象が起きている[57][58][59]。広東省の曁南大学で学ぶ香港人学生はこれまで80%の卒業生が香港での就職を希望したが、2009年になると50%が本土での就職を希望している。香港男性と大陸女性の婚姻件数は1996年の2215件から2006年の1万8000件となり、香港女性と大陸男性の婚姻件数も1996年の269件から2006年の3400件と大幅に増加している。2006年には香港の婚姻件数5万件のうち4割が香港人と大陸人の婚姻となっている。男女の人口比率は2007年には912:1000であったが、30年後には大陸女性が香港男性と婚姻し定住する案件が増加するため709:1000となる推測も出されている[60]。
購買力が高い香港ではメイドを雇用する家庭が多い[61]。その働き手として15万人のフィリピン人が香港に在住している。しかし1990年代にも香港のコンドミニアムで「フィリピン人メイドと犬の使用禁止」の貼り紙が出され、2009年に香港の著名コラムニストが南シナ海南沙諸島領有権問題に絡んでフィリピンを「召使いの国」と揶揄するなど、香港人の差別意識が問題となっている。
一方大陸から香港への観光客は飛躍的に増加し最大の観光客となっている。特に香港との経済格差が小さい深圳では非戸籍者へのビザ取得規制が大幅に緩和され、リピーターが増加している。
返還前はイギリス軍が昂船洲(ストーンカッタース)や赤柱(スタンレー)などの基地に正規兵のほかにグルカ兵などの傭兵を含む海軍、陸軍部隊(駐香港イギリス軍)を駐留させていた。同司令官は香港総督の下に位置した。
返還後にはイギリス軍に代わり人民解放軍駐香港部隊が駐留している。人民解放軍駐香港部隊の司令部が置かれているセントラルの「中国人民解放軍駐香港部隊大廈」は、返還まではイギリス軍の司令部が置かれていたプリンス・オブ・ウェールズ・ビルであった。人民解放軍駐香港部隊司令官は、中央軍事委員会および中華人民共和国国防部の下にあり、香港行政長官には部隊への指揮権がない。 基本法の規定により、イギリスの同盟国であるオーストラリアやアメリカを含む外国艦艇の休暇上陸(レスト&レクリエーション)を含む寄港は返還後も中央政府の同意を経て可能とされている。ただし中央政府の意向により寄港が許可されないケースもある。
2016年の中期人口統計によると、香港の人口は733万6585人、2011年の人口調査以降の年平均人口増加率は0.7%であった[6]。香港は世界で最も人口密度が高い地域の一つであり、1平方キロメートル当たりの人口密度は6540人(2010年)である[63]。2022年には729万1600人となっている。18の区のうち最も人口密度が高い観塘区では5万4530人に上る[63]。香港の出生率は0.869であり、人口代替率2.1をはるかに下回っている。
香港島北部の住宅地と九龍半島に人口が集中している。両者を合わせて127.75平方キロメートルと香港全体の面積の12%弱の地域に、香港総人口の約48%に当たる約338万人が居住している。九龍地区の1平方キロメートル当たりの人口密度は4万4917人、同じく香港島北部は1万5726人である(いずれも2010年)。
同地域は「海外からの移住者が仕事探しを行える環境」として比較的恵まれていることが特徴ともなっており、労働移住者の割合は24%(世界7位)という高めなものとなっている[64]。香港の人口で最も多いのは「華人」と呼ばれる中国系で、全体の93%を占める。華人以外で多いのはメイドなどの出稼ぎ労働者として多くが働いているフィリピン人やインドネシア人で、かつての宗主国のイギリス人が次ぐ。日本人は約2万4000人居住している。 香港返還以降の人口増加の大半は中国本土からの移民による。香港大学アジア太平洋研究センターの鄭宏泰助理教授は「中国本土からの移民人口を総合すると、2001年時点の香港総人口の約1割に当たる」と指摘する[65]。2015年の調査によると、1997年の香港返還以来、中国本土から香港に移り住んだ人の数が87万9000人に達していることが明らかになった。香港の人口(730万人)の8人に1人が本土出身者という計算になる。
一方で、近年は前述した国家安全法の施行や少子高齢化で、香港の人口減少が加速している[66]。
仏教・道教、ついでキリスト教徒(1993年ではプロテスタント25万8000人、カトリック24万9180人)が多い。
道教に根ざした思想や風習が広く市民の間に浸透している。関帝や天后など道教の神を祀った寺院(道観)が、中心部・郊外を問わず、各所に建てられている。近代的なビルの一角やオフィス、店舗の片隅に関帝が祀られていたり、路傍などに土地神を祀る小さな祠がしつらえられていることも多く、そこには多くの場合、線香や供物が絶やさず供えられている。
イギリスによる長年の統治の影響により、キリスト教も比較的広く信仰されている。歴史的な建造物であるものから雑居ビルの一室のものまで含めた各宗派の教会や、キリスト教系の団体を母体とする福祉施設や学校などが数多く存在している。ほかにも仏教寺院やイスラム教のモスク、日本の宗教団体の施設などもある。
国際通貨基金の統計によると、2015年のGDPは3092億米ドルである[67]。2015年の一人当たりのGDPは4万2294米ドルであり、世界的にも上位に位置する。2016年の一人当たり国民総所得(GNI)は4万3240ドルでドイツに次ぐ世界第16位となっている[68]。
アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界6位の都市と評価された[69]。アジアの都市ではシンガポール、東京に次ぐ3位である。日本の民間研究所が2017年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では、世界9位の都市と評価された[70]。世界屈指のビジネス拠点であり、2012年5月、スイスのシンクタンクによって、2年連続で「世界で最も競争力の高い国・地域」に選ばれた[71]。
富裕人口も非常に多く、金融資産100万ドル以上を持つ富裕世帯は約21万世帯であり、フランスやインドを凌いでいる。およそ11世帯に1世帯が金融資産100万ドル以上を保有しており、世界有数の密度を誇る[72]。個人資産10億ドル以上を保有する大富豪は2016年時点で68人であり、ニューヨークに次ぎ、世界で2番目に多い都市である[73]。
経済自由度指数が世界で最も高く、25年連続で「世界で最も自由な経済体」に選出されているように[74]、経済形態は規制が少なく低税率な自由経済を特徴とする。食料や日用品などの対外依存度が高い。もともとイギリスの対中国貿易の拠点であったことから中継貿易が発達していた。1949年に中華人民共和国が成立すると、大陸から多くの移民が香港に流入、それを安価な労働力として活用することで労働集約型の繊維産業やプラスチック加工などの製造業が発達した。
1970年代からは、香港政庁が新界における住宅団地開発や交通インフラ整備などに着手(詳細は積極的不介入を参照)、香港経済は急速な発展を遂げる。しかし1970年代後半になると労働コストの上昇や工業用地不足などの問題が顕在化してきた。そして中華人民共和国の改革開放政策により1980年代からは従来の製造業は広東省の深圳市や東莞市をはじめとする珠江デルタへと移転、香港は中華人民共和国を後背地とする金融センター・物流基地へ転換した。
1997年の返還後は中国本土への経済的依存は強まり、2003年には中国本土・香港経済連携緊密化取決め(CEPA I)が中国本土と香港の間で調印され、その後も補充協議が実施・締結されている。広東省のイニシアティブによる汎珠江デルタ協力(9+2協力)にも参加している。香港は、世界最大級の都市圏(グレーターベイエリア)を目指す粤港澳大湾区構想の一部でもある[75][76]。
イギリス時代から完備された法体系や税制上の優遇措置、高い教育水準を有し英語が普及していることから、賃貸物件賃料が世界最高水準であるにもかかわらず、アジア市場の本社機能を香港に設置する欧米企業が多く存在する。
香港のGDPの80%をサービス産業が占める。観光産業がGDPの約5%を占めるほか、古くから映画産業が盛んである。香港経済界の代表的人物として長江集団を率いる李嘉誠が挙げられる。
地価が高いこともあり、香港はシンガポールと同じく物価高の傾向があり、商品や為替変動によっては東京の消費者物価を上回ることがある。
電力や通信などの社会インフラ企業をはじめ建設や運輸、金融や流通、サービス業や報道機関まで、さまざまな業種の大企業がそろっており、東南アジアや中華人民共和国のみならず、日本やイギリス、アメリカなどへ進出している企業も多い。
主な財閥、企業グループは、イギリス系、華人系、中国本土系の三つに大まかな分類ができる。華人系には長江実業グループや会徳豊などがある。伝統的にはイギリス系のジャーディン・マセソンやスワイヤー・グループ、香港上海銀行が有力だが、前二者は1970年代以降、ハチソン・ワンポア(長江実業グループ傘下)などの華人系財閥による買収などで勢力を縮小させている。中国本土系の企業としては、華潤集団、招商局集団、中国銀行 (香港)、中国旅行社やCITICがある。
日系企業の進出が盛んであり、2018年時点で1393社の日系企業が、香港に拠点をおいている。これは、香港に進出している外資系企業の中でアメリカなどの欧米企業を抑えてトップの数である[77]。
2021年3月に発表された金融センターランキングにおいて、世界4位と評価された[78]。アジアでは上海に次ぐ2位である。2016年の外国為替市場の1日当たりの取引額は4370億ドルであり、日本を追い抜き、イギリス、アメリカ、シンガポールに次ぐ4位に浮上した[79]。
貨幣である香港ドルは、イギリス系の香港上海匯豊銀行(HSBC)とスタンダードチャータード銀行(香港渣打銀行)、中国系の中国銀行 (香港)の商業銀行3行によって発行されている。ただし10香港ドル紙幣の一部と硬貨は、香港金融管理局が発行している。
返還後の2001年に金利が自由化されたものの、2005年5月18日にアメリカ合衆国ドルとのペッグ制から目標相場圏制度に移行されたことにより、金利は基本的にアメリカ合衆国の金利動向に追従する。
主要な証券取引所として、1891年に開設された香港証券取引所(香港交易所、Hong Kong Stock Exchange)があり、東京証券取引所やシンガポール証券取引所と並び、アジアを代表する証券取引所となっている。市場の動きを表す指数として、代表50銘柄を対象として時価総額加重平均で算出した「ハンセン指数(恒生指數、Hang Seng Index)」がある。
世界有数の観光都市であり、イギリスの市場調査会社ユーロモニターが公表した統計によると、外国人旅行者の来訪数が世界で最も多い都市であり、2012年には約2,380万人が訪れた[83]。
観光産業が経済的に大きな位置を占めるということもあり、香港政府観光局や、フラッグ・キャリアのキャセイパシフィック航空を中心に海外での宣伝、観光客の誘致活動が大々的に行われており、現在、観光親善大使を香港出身の映画俳優であるジャッキー・チェンが務めている。
香港島中西区には香港上海銀行・香港本店ビルや中国銀行タワー、国際金融中心などをはじめとする超高層オフィスビルやホテルが、九龍区には環球貿易広場、油尖旺区などの繁華街には大規模なショッピングモールやさまざまな様式のレストラン、高級ブランドのブティックやエステサロンなどが立ち並び、活況を見せている。
香港は世界三大夜景の一つである。古くから「100万ドルの夜景」の異名で世界的に知られており、特に香港島のヴィクトリア・ピークや、尖沙咀のウォーターフロント・プロムナード近辺からの眺望が名高い。12月のクリスマスシーズンから農暦新年(旧正月)にかけては、ヴィクトリア・ハーバー沿いに建つビルに特別のイルミネーションが施される。
郊外や島嶼部では昔ながらの風景や自然が多く残されており、ハイキングなどを楽しむことができる。2005年9月に香港の新たな名所としてランタオ島に香港ディズニーランドがオープンした。
1960年代から映画産業が盛んであったこともあり、現在も香港映画の多くにこれらの観光名所が登場するほか、日本やアメリカの作品においてもこれらの観光名所が登場することも多く、観光客誘致に一役買っている。
近い上に観光資源が豊富なことから、1970年代の海外旅行ブーム以来、日本人の間で人気の旅行先としての地位を保っている。それに対して日本が香港市民の人気の旅行先として定着しており、当初は東京(東京ディズニーランドや原宿など)を主な旅行先とするケースが多かったものの、東北地方の温泉地巡りや北海道でのスキー、大阪や九州のテーマパークなど、その目的地が日本全国へと広がってきており、香港市民の日本へ対しての興味の幅広さがうかがわれる。
コンデナスト・トラベラーやインスティテューショナル・インベスターなどのホテルランキングで高い評価を受ける超高級ホテルや国際的チェーンホテルから、長期滞在者向けの低価格宿泊施設までさまざまなホテルがそろっている。