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青木理 (三重県知事)
日本の政治家 (1902-1967) ウィキペディアから
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青木 理(あおき まさる、1902年〈明治35年〉8月9日[1][2] - 1967年〈昭和42年〉1月25日[1])は、大正末から昭和期の実業家、政治家。初代三重県公選知事(2期)。
経歴
三重県一志郡久居町西鷹跡町(久居市を経て現津市)で生まれた[2]。1923年(大正12年)東京帝国大学法学部を卒業[1][2]。理研特殊鋼総務部長、日本兵器車両取締役などを経て[2]、1942年(昭和17年)拓務大臣・井野碩哉秘書官となる[1][2]。翌年実業界に戻り、日本蚕糸近畿中国支社長などを歴任した[1][2]。
1947年三重県知事選挙
戦後の1947年(昭和22年)の第1回三重県知事選挙に立候補して、官選知事の佐伯敏男や共産党の候補ら4人を破って当選し、初代公選知事となった[3]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
同年4月16日に就任した[4]。1951年(昭和26年)にも再選[2]。同年11月には昭和天皇の三重県巡行があり、随行役を務めた(昭和天皇の戦後巡幸)[5]。
1955年(昭和30年)の知事選では自由党と日本民主党の支援を受けたが、左右社会党の支援を受けた農林省課長の田中覚に敗れた。同年3月18日に退任した[4]。
1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙で三重1区から自由民主党公認で立候補したが落選した[6]。1967年没。
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脚注
参考文献
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