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順徳院兵衛内侍
鎌倉時代前期の女流歌人 ウィキペディアから
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順徳院兵衛内侍(じゅんとくいんのひょうえのないし、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の女流歌人。似せ絵の名手として知られた藤原隆信の娘。中山忠定の妻。

生涯
順徳天皇に出仕し、その内裏歌壇で頭角を表した。記録に残る限りでは、建保2年(1214年)の『月卿雲客妬歌合』が初見となっている。その後の数年間に集中的な活躍を見せるが、承久の乱による歌壇の崩壊と共に文献上からその姿を消した。
逸話
五十六番 左 勝 兵衛内侍
— 『冬題歌合』 建保五年
なみだ河袖ゆく水のこほるより うきねのとこの夢はむすばず
右 左衛門督忠信卿
たえぬべきみちだにつらき山どりの 尾上の霜にふしやわぶらん
右歌もことなる難侍らねど 左のことばすがた
ありがたくえおかしくみえ侍ければ 満座申可為勝之由
- 相手にも難点はないが、全会一致で勝ちに決まったほど、絶賛されたことを伝えている。
- 活動期間が比較的短く、場も限られていたため、残された作品は多くないが、『続歌仙落書』[2]に4首採られて、その魅力的な歌風を賞賛されている。
風體うつくしきさまにて見どころ侍り
— 『続歌仙落書』
霜枯の蘆まに鴨のむら鳥の遊ぶをなむみる心地する
建保四年閏六月日内裏百番歌合に 春を
花の色は盡きじと思ふもゝ敷や おほ宮人の千世のかざしに
同歌合に
夕暮はなにはのあしびたきそめて こやもあらはに立つ煙かな
承久元年七月内裏百番歌合に 冬夜月を
貴船川ゆくせの月の氷るよに うへこす玉はあられなりけり
内裏撰歌合に
忘らるゝ身はうき物と世の中に 思ひすてゝも行くかたぞなき
かものゐる入江のあしは霜がれて おのれのみこそあをばなりけれ
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作品
- 家集は伝存しない。
脚注
参考文献
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