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顕証寺 (大阪府河南町)
大阪府河南町にある浄土真宗本願寺派の寺院 ウィキペディアから
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顕証寺(けんしょうじ)は、大阪府南河内郡河南町大字大ケ塚にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は「近松山」。「大ケ塚御坊」とも。 河南町北部、大ケ塚の高台の上に寺を中心にして周囲に寺内町(大ケ塚寺内町)を形成している。現在もその痕跡をとどめている。
歴史
大ケ塚寺内町は、鎌倉時代末期、念仏宗第7世法明が、当地に念仏道場を開き、布教をはじめたことに端を発する。 南北朝時代や戦国時代には大ケ塚周辺で合戦が繰り広げられたが、そのような状況下で、念仏宗の寺院を中心に寺内町が形成されていく。
石山合戦を行っている最中の元亀3年(1573年)、本願寺11世顕如が大ケ塚に「大ケ塚総道場」を開基する。これが現在の大ケ塚御坊顕証寺のはじまりである。この後この地は柴田勝家に属し、柴田家の菩提寺とされていた。 後に豊臣秀吉がこの地に城を築こうとし、寺をとり壊したが、築城は失敗に終わる。
行事
「八朔法要」(はっさくほうよう)と「八朔市」(はっさくいち)が伝統行事として顕証寺と寺内町に伝わっている。 元禄年代に、京都御所の皇室から下贈された灯籠人形を本堂に飾ったところ、人々が次々に拝観に訪れたため、顕証寺周辺には自然と出店も出るようになり、八朔市が形成され現在に至っている。
関連項目
外部リンク
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