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FENCE OF DEFENSE
日本のバンド ウィキペディアから
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FENCE OF DEFENSE(フェンス・オブ・ディフェンス)は、北島健二、西村麻聡、山田わたるによるロックバンド。1985年6月結成。
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来歴
音楽事務所ビーイングに所属し、スタジオミュージシャンであったベーシスト:西村麻聡、ギタリスト:北島健二、ドラムス:山田わたるの3人により1985年6月に結成。以後、曲作り、リハーサルを重ね、1987年6月21日、EPIC・ソニーからアルバム『FENCE OF DEFENSE』、シングル『フェイシア』でデビュー。ライブは常に即ソールドアウト。1989年には日本武道館公演も成功。テレビアニメの主題歌に起用された楽曲「SARA」「時の河」「DON'T LOOK BACK」がスマッシュヒット。1996年にマーキュリー・ミュージックエンタテインメント→ポリドール/Primitiveレーベル、1998年にイーストウエスト・ジャパンへの移籍を経て、1999年に一旦活動休止。その後、個々のソロ活動、別ユニットでの活動、所属事務所からの独立を経て、2003年、4年ぶりに活動を再開。オリジナル・アルバムをリリース。個々のソロ活動の傍ら、ライブ・楽曲制作・イベント等精力的に活動中。2022年にデビュー35周年を迎える。
現在、バンドのマネジメントは山田が役員を務めるチーム・アクティブ(当時の芸能事務所ハートランドのローディー部門が独立した会社)が担当(西村、北島は別の所属事務所に在籍)。
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メンバー
エピソード
- 1985年当時、西村がプロデューサーとして手がけていた曲の多くが、打ち込みを基調にしていた為、西村が持って来る自作のデモテープの曲がテクノばかりとなり、北島は自分の居場所が無いと悩んでいた。そこで西村がヘヴィメタルナンバーを持ってくると、今度は山田の機嫌が悪くなり、なかなかリハ・楽曲制作が進まず、デビューまで苦悩したという。ちなみにこの時のメタルナンバーは、早川めぐみに「Hot Lady」(作詞:亜蘭知子)として提供された。
- デビューライブの日、西村は40度の高熱でライブをこなした。理由は明らかではないが、北島、山田から西村と連絡がとれない状態がライブ本番まで続いたため業を煮やした二人は一切同情の言葉を掛けず突き放す言葉ばかり掛けた。ライブは大成功だったという。
- 1989年3月の武道館ライブで、ヘアメイクが持ってきた山田の前髪を立てる為のコテを西村の髪に試したところ、スパイラルパーマ状態になり、本番5分前であったため元通りにする時間が無くそのまま本番をこなした。そのライブがビデオで発売され、そのビデオを見た西村の母親から「何か変な方向に向かっているんじゃないか」と電話があったらしい。
- オールナイトフジにゲスト出演した際、北島の衣装にクリーニングのタグが付いたままになっていた。演奏終了後のインタビューで司会の相楽晴子が「(受けようと思って)わざとやったんですよね?」とフォローしようとしたが、北島は「知らなかった」と、苦笑いしながら答えた。
関連人物・グループ
- TM NETWORK
- 3人ともサポートメンバーとして(メンバー全員または別個)、TM NETWORKや宇都宮隆・木根尚登のライブに参加したことがある。またライブの前座としても出演した。 TMのライブ・ビデオ『FANKS "FANTASY" DYNA-MIX』では、若き日の西村・山田の姿を視聴可能。宇都宮隆はアーティストブック『Butterfly』の中で、「好きなアーティスト(邦楽)」の欄に、FENCE OF DEFENSEの名を記している。
- B'z
- TM NETWORKサポート時代の仲間で三人共通の友人である松本孝弘が結成したロック・グループ。松本がTM NETWORKのサポートメンバーになった経緯は、当初メンバー3人でサポートを行う予定だったが、ギターの北島のスケジュールが合わず、北島が自分の代わりに松本を推薦したことがきっかけである。TM NETWORKのライブイベントで共演したり、北島・西村が松本のソロ・アルバムレコーディングに参加したりと交流がある。
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ディスコグラフィ
オリジナル・アルバム
ベスト・アルバム
リミックス・アルバム
ライブ・アルバム
その他のアルバム
シングル
コラボレーション・シングル
企画盤シングル
映像作品
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タイアップ一覧
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脚注
外部リンク
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