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宣阿
日本の江戸時代前期~中期の歌人(二条派)・武士。岩国藩家老香川正矩次男。香川梅月堂初代 ウィキペディアから
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宣阿(せんあ、正保4年(1647年)- )は、江戸時代中期の武士、歌人。諱は景継(かげつぐ)[1][2]。通称は三十郎・吉助・木工允[1]。号は隣善・一枝軒・淵竜[1]、歌号は梅月堂宣阿[1]、法号は堯真[1]。
略歴
周防国岩国に、吉川家家老の香川正矩の次男として生まれる[1]。延宝元年(1673年)、京都に上京する[1]。これ以降、約15年ほど京都文壇の儒学者として活動する[1]。
貞享4年(1687年)2月、突如として出家し、時宗の僧侶となる[1]。清水谷実業(三条西家一門)・中院通茂・武者小路実陰といった堂上歌人の指導を受け[3][4]、二条派地下歌人として、京都梅月堂香川家始祖として認められた[4]。一条烏丸の西入町に本拠を構えた[5]。
元禄8年(1695年)に詠んだ「山々はまだ明けぬ夜の雲の上に白きを見れば雪の不二のね」の和歌が霊元院の目に留まり、「一条の今西行」と評された[4][5]。
歌集に『水雲集』があり[4]、当時の上方地下歌人としては突出した存在だった[4]。
また、『陰徳太平記』の著者として有名である。同書の原典である『陰徳記』は、宣阿の父 香川正矩が執筆していたものである。父の遺志を継いだ景継は、京都に遊学した後も執筆を続け、享保元年(1716年)9月10日出版許可、享保2年(1717年)に出版となった[6][注釈 1]。
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著作
- 『陰徳記自序』
- 『陰徳太平記』
- 『草庵和歌集蒙求諺解』
- 『水雲集』
脚注
参考資料
関連項目
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