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香港特別行政区政府の組織構造

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香港特別行政区政府の行政機関(ホンコンとくべつぎょうせいくせいふのぎょうせいきかん)は、首長である行政長官によって指導され、第一層には司長および副司長、第二層には決策局、第三層には部門によって構成されている。

香港基本法」に基づき、特別行政区政府は「政務司、財政司、律政司および各局、処、署」を設置している。実際には香港には「政務司」や「財政司」という名の部門は存在せず、各決策局は編成上、政務司司長室または財政司司長室に報告する形となっている。大部分の政府部門は決策局の下に配置されている。また、行政長官室や一部の独立機関(例えば、廉政公署、申訴専員公署、監査署など)は、直接行政長官に直属している。これらの機関の長(監査署長や廉政専員など)は、問責局長と同様に行政長官によって指名され、中華人民共和国国務院によって任命される。

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組織構成

要約
視点

首長

基本法第60条では、香港特別行政区政府の首長は行政長官であると規定されている。基本法第48条第1項に基づき、行政長官の職責として特別行政区政府を指導することが含まれている。

司長及副司長

司長および副司長は「主要官員中国語版」に属し、その任命および解任は行政長官が報告し、中華人民共和国国務院の承認を得なければならない。司長とはすなわち政務司司長財政司司長律政司司長のことであり、最重要政策の策定を職務とし、行政長官に直接責を負う。また、各司長の下には副司長が一名配置されており、これら6名の官員はそれぞれ政治助理中国語版を任命することができる。律政司司長は行政長官の主要な法律顧問であり、決策局を有していない。律政司副司長は律政司司長の法律顧問である。

政府総部

決策局(または政策局英語: policy bureau)の首長は決策局局長英語: policy secretary)であり、「主要官員」である。職能はイギリス政府の省庁の首長を務める閣内大臣に類似し、特定分野(例えば、衛生、運輸、保安など)の政策策定、調整、見直しを担当し、下位の執行部門の業務を監督する。また、すべての決策局が一体となって政府総部(英語: Government Secretariat)を形成している。2002年7月1日に董建華行政長官が主要官員問責制を実施する以前、すべての決策局は政務司司長または財政司司長に対して責任を負っていた。しかし、問責制が実施された後、決策局は行政長官に直接責任を負うこととなった。曾蔭権行政長官は、2005年10月に発表した施政報告で、決策局はまず政務司司長と財政司司長に報告し、その後、両者が行政長官に報告する方式に変更された。

政府の組織構造は、2002年以降、何度も再編成が行われてきた。当初の「3司11局」から、2007年の「3司12局」、さらに2015年には「3司13局」へと変更された。2022年5月17日には、政府組織の再編案が審議・可決された。現在では、外部では司長と決策局を合わせて「3司15局」と呼ぶことが多い[1]

さらに見る 政務司司長及副司長の指導下, 決策局 ...
さらに見る 財政司司長及副司長の指導下, 決策局 ...

政府部門

政府部門は約18万人の公務員で構成されており、行政会議における行政長官の政策や立法会が制定した香港法例の執行と、公共事務の管理を担当している。

さらに見る 部門, 首長 ...

現在の組織構成

第六屆特区政府の構成は以下の通り:

さらに見る 決策局, 政府部門 ...
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歴史

要約
視点

香港政府は1970年代初頭まで二層構造を維持しており、各部門は輔政司英語: Colonial Secretary、1976年以降は布政司Chief Secretary)に対して直接責任を負っていた。布政司署には政策研究を担当する職員がいたが、その職級は部門首長より低く、部門首長はしばしば輔政司と議論を重ね、あらゆる事柄を輔政司が決定する形となっていたため、行政効率を低下させていた。当時の香港総督マクレホースマッキンゼー・アンド・カンパニーに対策を求めた。同社は1972年に『マッキンゼー報告書中国語版』を発表し、権限を分散させ、輔政司と部門の間に「決策科」を設けて政策立案を担当させ、各部門はその執行を担当することを提案した[2]

香港特別行政区政府が設立された後、組織構造はおおむね英国統治時代を継承したが、名称に変更があった。元々の「布政司署」は「政府総部」に改名され、「決策科」は「決策局」、「資源科」は「資源局」となった。当時、13の決策局と2つの資源局があり、決策局はそれぞれ、政制事務局、教育統籌局、規劃環境地政局、運輸局、工務局、衛生福利局、民政事務局、房屋局、保安局、工商局、文康広播局、経済局、財経事務局であり、2つの資源局は公務員事務局と庫務局であった。その後、いくつかの部門が統合され、1998年には新たに資訊科技及広播局が設立され、文康広播局は解散された。また、2000年には環境食物局が設置、規劃環境地政局は規劃地政局に改名された。市政総署および区域市政総署は解散され、新たに設立された康楽文化事務署および食物環境衛生署がこれを引き継いだ。

2002年7月、董建華は第2代行政長官に就任した際、主要官員問責制を導入し、決策局局長は政治任命となった。局長は契約形式で任用され、任期は行政長官の任期に連動し、政治的リスクを負うこととなった。また、これまで公務員が担っていた局長職は「常任秘書長」に改称され、公務員の昇進制度は維持された。決策局は再編成され、11の決策局が設置され、外部ではこれを3人の司長と合わせて「3司11局」と呼ぶようになった。当時の11の局は、公務員事務局、政制事務局、教育統籌局、環境運輸及工務局、衛生福利及食物局、民政事務局、住宅及規劃地政局、保安局、工商及科技局、経済発展及労工局、財経事務及庫務局であった。環境と運輸を1つの局に統合したことなど、この再編成の方法には批判が多かった。この合併決定は、2001年に環境保護署が九広鉄路落馬洲支線を塱原湿地を通過させることに反対したことと同様の気まずい事態を避けるためだと広く考えられている。董建華自身も、決策局の統合方法は「あまり科学的でなかった」と認めている[要出典][要出典]

2007年7月1日、行政長官に選出された曾蔭権は決策局を若干改編し、12個の局に再編成した。この際、新たに発展局が設立され、外界ではこれを「3司12局」と呼ぶようになった。2012年の香港特別行政区行政長官選挙後、次期行政長官の梁振英は「5司14局」を提案し、政務司司長と財政司司長それぞれに副司長を設置し、新たに文化局を創設し、商務及経済発展局を科技及通訊局と工商及産業局に再編し、発展局と運輸及房屋局をそれぞれ房屋及規劃地政局と運輸及工務局に再編することとした[3]。しかし、立法会はこれに対する審議を早期に否決し、新体制は同年7月1日に実施されなかった[4]。その後、1年半を経て、梁振英は2014年度施政報告において再度この構造改革案を提起し、商務及経済発展局から創新及科技局を分割した。創新及科技局は2015年11月20日に正式に業務を開始し、この時点で外界はこれを「3司13局」と呼ぶようになった。

2022年1月12日、林鄭月娥行政長官は政府架構重組案を発表し、文化体育及旅遊局の新設、運輸及房屋局の分割、食物及衞生局の改組、民政事務局の重組などを提案した[5]。これに対して、公共財政管理の観点から、各局が依然として自己中心的に振る舞う可能性があるとして、適切な配置かどうかについて疑問の声も上がった[6][7]。同年5月17日、次期行政長官の李家超は新しい構造案を発表し、3つの副司長職を新設することを提案した。これにより、政務司副司長、財政司副司長、律政司副司長が創設され、また文化体育及旅遊局が新設され、民政事務局から文化、藝術、体育事務を引き継ぎ、商務及経済発展局から映画、創造産業、観光事務を接管することとなった。運輸及房屋局は運輸及物流局と房屋局の2つの決策局に分割され、創新及科技局は創新科技及工業局に改名された。さらに、民政事務局は民政及青年事務局に重組され、環境局は拡大されて環境及生態局となり、食物及衛生局が担当していた環境衛生、食品安全、漁業・農業、家禽公共衛生などの政策を引き継ぐこととなった。また、食物及衛生局は医務衛生局に改組されることが決定された[8]

返還後の決策局の変遷

さらに見る 政策範疇, 1997年7月1日 ...

註:主要な政策範囲を除き、他にも細かな業務調整が行われている。詳細については関連する決策局の項目を参照すること。

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注釈

  1. 臨時市政局臨時區域市政局解散。
  2. 董建華連任行政長官,推行政治委任制度
  3. 曾蔭權連任行政長官。
  4. 李家超就職行政長官。

参考文献

外部リンク

関連項目

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