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高砂家ちび助

寄席芸人 ウィキペディアから

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高砂家 ちび助[1](たかさごや ちびすけ、1903年 - 1983年2月2日)は寄席芸人東京都出身。本名は森田 辰五郎。

概要 本名, 生年月日 ...

経歴

最初落語家桂小文治の下で桂小助を名乗り修行したが、1921年に茶番()狂言を演じる茶番師の高砂家吉右衛門の門下になり、140センチ程だったといわれている身長の低さから、後に高砂家ちび助と名乗る。

得意ネタは「唖の釣り」「たぬき」等があった。特に小柄な体を生かした、のろまな蝿取り、百面相寄席踊り等、人があまりやらない珍芸を売りにしていた。

戦前は端席、戦後は花王名人劇場などに出演し人気を博した。

山本益博を聴き手とした芸談が、南博永井啓夫小沢昭一編集『芸双書 1 いろどる-色物の世界』(1981年、白水社、NCID BN00509921)に収録されている。

昭和58年(1983年)2月2日、胃潰瘍のため・東京江戸川区の岩井総合病院で死去。七十九歳没[1]

脚注

関連項目

外部リンク

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