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龍造寺康家

室町時代中期から戦国時代にかけての武将 (?-1510) ウィキペディアから

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龍造寺 康家(りゅうぞうじ やすいえ)は、室町時代中期から戦国時代にかけての武将龍造寺氏14代当主。

概要 凡例龍造寺康家, 時代 ...

生涯

肥前国国人・龍造寺氏13代当主・龍造寺家氏の子として誕生。初名は忠俊[3]、又は家満。

肥前の有力大名である九州千葉氏少弐氏に従い、大内氏としばしば戦った。文明5年(1473年)、恵日山実琳院を再興し子・澄覚を住持としている[2]。文明17年(1485年)には肥前津町に押買や強盗等の禁制を発している[4]

明応年間(1492年から1501年)の末に隠居し[2]、家督を次男・家和に譲り[5]、自らは水ヶ江の地に新たな館を築き隠居所とした[2][6]永正2年(1505年)頃、剃髪し隠岐入道と号した[6]

永正7年(1510年)、死去。

康家没後、水ヶ江の館を継いだ五男・家兼は館を改修し水ヶ江城とした。これが水ヶ江龍造寺氏の始まりである。

脚注

出典

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