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1950年イギリスグランプリ

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1950年イギリスグランプリ
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1950年イギリスグランプリ (III RAC British Grand Prix, XI Grand Prix d'Europe) は、1950年のF1世界選手権第1戦として、1950年5月13日シルバーストン・サーキットで開催された。

概要 レース詳細, 日程 ...

同年ヨーロッパグランプリを冠し、またこの年に始まったF1世界選手権の第1戦であり、国王ジョージ6世エリザベス皇后マーガレット王女ルイス・マウントバッテン夫妻らも観戦した。

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概要

1950年のF1世界選手権開始に伴い、年に複数のレースを行い個々のレース結果に基づきポイントを与え、その合算結果にて年間ランキングを決めるようになったが、その第1戦はこの戦後3回目の開催となった1950年5月13日のイギリスGPであった。このレースは第10回ヨーロッパグランプリも兼ねていたが、こちらはF1賞典とは関係なく、現在のヨーロッパグランプリとは位置付けが違う。これは厳密に言うとグランプリ=レースではないためこの様な複雑な表現になる。ここで使用するグランプリという言葉については、グランプリ (モータースポーツ)を参照。

レースが開催されたシルバーストン・サーキットは、第二次世界大戦終結後に閉鎖された軍用飛行場跡地を利用して1948年に設置されたサーキットである。当初は現在のコースの内側にもセクションをもつ5.906kmのサーキットとしてオープンしたが、F1が開催されるようになって以来、主にコーナーが8個しかない外周のみのレイアウトでレースが行われるようになった。しかしながら、3つしかコーナーがないサーキットですらF1を開催した当時としては、世界中に数あるサーキットの中ではごく平均的なものであった。

この当時のスタート時の並びは後年のような2-2-2(2列縦列)ではなく、4-3-4(最前列に4台、次列に3台、以降繰り返し)であった。24台が参戦し、21台が決勝に出走した。

結果は、アルファロメオのティーポ158に搭乗したこの年の王者でもあるジュゼッペ・ファリーナが1分50秒8で獲得した予選1位から勝利を収め、記念すべきF1初レースの優勝者として名前を残している。2位は同じくアルファロメオのルイジ・ファジオーリ、3位にはこれまたアルファロメオのレグ・パーネルが入賞し、1位から3位までが全てアルファロメオのティーポ158が占めた。

また、F1世界選手権開催を記念して、英王室から当時の国王ジョージ6世とエリザベス皇后、マーガレット王女の計3人が観覧に訪れた。ピットも同様だったが、鉄パイプとビニールシートから急遽建造された、マーシャル小屋と見紛う一坪ほどのロイヤルボックスからレースを観戦したが、平坦なシルバーストン・サーキットは床高1メートル弱であるこの急造ロイヤルボックスでも十分に一望できたという。前座レースのF3レースが行われたあと国王夫妻はコースをゆっくり1周し、その後F1のスタートが切られた。レース終了後、優勝したジュゼッペ・ファリーナを祝福、ジョージ6世自らが優勝トロフィーを授与した。

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エントリーリスト

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^1 - ルイジ・ファジオーリはアルファロメオ3番車で予選と決勝70ラップを走行した。ジャンバティスタ・ギドッティも同車のドライバーとしてエントリーしたが、ドライブすることは無かった[3]
^2 - ピーター・ウォーカーはERA9番車で予選と決勝2ラップを走行した。トニー・ロルトが引き継いで3ラップを走行した[4]
^3 - ジョー・フライはマセラティ10番車で予選と決勝45ラップを走行した。ブライアン・ショウ=テイラーが引き継いで19ラップを走行した[4]
^4 - イベント前にエントリーをキャンセルした[5]
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予選

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決勝

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*Ret:リタイア、NC:周回数不足

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記録

第1戦終了時点でのランキング

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  • :トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。

参照

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