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1966年メキシコグランプリ
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1966年メキシコグランプリ (1966 Mexican Grand Prix) は、1966年のF1世界選手権第9戦(最終戦)として、1966年10月23日にシウダ・デポルティーバ・マグダレナ・ミクスカで開催された。
メキシコグランプリの開催は5回目で、レースは全長5 km (3.1 mi)のコースを65周する325 km (202 mi)の距離で行われた。それは新しい3リッター規定の下での最初の走行だった[1]。
本レースはイギリス出身のジョン・サーティースがクーパー・T81-マセラティで優勝し、フェラーリからクーパーに移籍してからの初勝利を挙げた。ブラバム・BT20-レプコを駆る本年度王者でオーストラリア出身のオーナードライバーであるジャック・ブラバムがサーティースから8秒遅れの2位[2]、同じくブラバム・BT20を駆るブラバムのチームメイトでニュージーランド出身のデニス・ハルムが1周遅れの3位となった。
サーティースはこの勝利でチームメイトのヨッヘン・リントを上回り、ドライバーズランキング2位を確定させた。
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レース概要
ジョン・サーティースは、シーズン半ばにフェラーリからクーパーへ移籍してからの初勝利を挙げた。彼は6周目にジャック・ブラバムからリードを奪ってから首位を独走していく。フェラーリはイタリア国内の労働ストライキの影響でイギリスGPに続いて今シーズン2戦目の欠場[3]、ジム・クラークはギアボックスの問題を抱えて早々にリタイア、BRM勢もレース前半でリタイアした。前年のメキシコGPで優勝したリッチー・ギンサーは、前年同様スタートでトップに立ったものの、前年のようなパンチ力はなく徐々に順位を落としていく。しかし、レースの進行とともに順位を上げていき、地元出身のペドロ・ロドリゲスがリタイアした頃には3位まで順位を戻した。ギンサーは2位のブラバムを追うが、逆にギンサーを追っていたチームメイトのデニス・ハルムを援護するブラバムの巧みなブロックでハルムに抜かれて4位に落ち、そのままフィニッシュした。ギンサーは58周目にファステストラップを記録し、ホンダにこの年唯一の入賞をもたらした[4]。チームメイトのロニー・バックナムは電気配線の短絡によりマシンが突然火を噴いてピットインを余儀なくされたが、応急処置を施しコースに復帰してから猛烈な追い上げを見せ、8位まで順位を戻した[5]。ギンサーとバックナムはこの年を最後にホンダを離れ[6]、結果的にこれが両者ともF1最後のレース[注 1]となった。ブラバムは唯一サーティースと同一周回の2位までフィニッシュした。
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エントリーリスト
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結果
予選
- 追記
決勝
- リッチー・ギンサー - 1:53.75 (58周目)
- ラップリーダー[12]
ランキング
→ドライバーズ・チャンピオンシップの詳細については「1966年のF1世界選手権 § 1966年のドライバーズランキング」を、コンストラクターズ・チャンピオンシップの詳細については「1966年のF1世界選手権 § 1966年のコンストラクターズランキング」を参照
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
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脚注
参照文献
外部リンク
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