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1977年の全日本ロードレース選手権

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1977年の全日本ロードレース選手権 (1977ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1977年3月6日鈴鹿 2&4レース大会で開幕し[1]、同年9月11日第14回日本グランプリロードレース大会鈴鹿)で閉幕した全8戦による1977年シーズンの全日本ロードレース選手権である。

1977年の全日本ロードレース選手権
前年: 1976 翌年: 1978

最大排気量のエキスパート750ccクラスチャンピオンは毛利良一ヤマハ)が獲得した[2]

1977年シーズン

シーズンオフに主要メーカー間でライダー往来があり、前年までヤマハと契約しマシン開発をしていた河崎裕之スズキへ移籍。河崎は1967年までスズキに在籍しており、約10年ぶりの復帰となった[3]。以後、スズキ・RGシリーズのマシン開発に携わる[4]

開幕戦・鈴鹿BIG2&4では、エキスパート選手の750cc車両での参戦が5台、混走の350ccクラスの参戦が7台であり、エントリー台数増加が課題となっていた[5]。この年は5月に菅生にて単独イベントとしてTBCビッグロードレースが初開催され、全日本にはないF750英語版レギュレーションでのレースが国内で初めて行なわれていた。ヤマハはこれに合わせてファクトリーマシン・0W31レプリカ「TZ750D」を10台以上国内エキスパートライダーが所属するチーム向けに販売。車両開発者でもある本橋明泰による購入者向けの走行講習会を開催するなど、トップライダーのTZ750Dでの経験値が高められ、エントリー台数の増加が期待された(この講習に参加したライダーは糟野雅治安良岡健毛利良一、佐藤順造、杉本五十洋、杉本泉など。)[6]。しかしライダーに750マシンが渡っても国内には大排気量クラスのスプリントレースに対応するタイヤが十分な数揃わないという足かせもあり、これを入手できるメーカーワークスチームや数人のトップライダー所属チーム以外では750ccクラス参戦は容易ではない状況であった[7]

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チームカナヤのヤマハ・TZ750(5.毛利良一)

この流れの中で、350ccに参戦していた毛利良一(チームカナヤ)がシーズン途中からTZ750Dで参戦クラスを750ccへ変更。2勝を挙げていた350ccポイントリーダーの座を投げうっての750cc転向だったが、クラス転向後も連続表彰台獲得を続けて全日本タイトルを獲得。2年前にはシーズン最終戦で逆転され1ポイント差で750王座を逃しており、2年越しの750タイトル獲得を果たした。入門級のノービス125ccでの石出和之や、ジュニア350ccクラスでの石川岩夫などエキスパート選手と同等のラップタイムで走る若い力も現れ、筑波大会で併催されたプロダクションレースでは複数の女性ライダーが参戦するなどの話題もあった[8]

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スケジュールおよび勝者

さらに見る Rd., 決勝日 ...
  • 混走参戦のフォーミュラ・リブレ(FL)、全日本選手権ポイント対象外。
  • *印の勝者はレースでの総合優勝ではなくクラス優勝者。
  • **第5戦鈴鹿6時間耐久レース大会は、6月4日に125ccクラスを全日本選手権対象のスプリントレースとして開催、それ以外の排気量車はノンタイトル戦として6月5日に6時間耐久レースを開催、よって125ccクラス以外は全日本選手権ポイントは付与されない。
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ポイントランキング

さらに見る 順位, 1位 ...
  • 上位4戦分の獲得ポイント数で争われる有効ポイント制
  • 最終戦・日本GPでは、ボーナスポイントとして入賞者に従来のポイントに加えて3ポイントが与えられる。
  • 最終戦終了後に有効獲得ポイント1位であっても、そのポイント数が30点未満の者はチャンピオンと認定されずランキング2位となり、以下の順位も繰り下げされる[9]

750cc

さらに見る 順位, No. ...

350cc

さらに見る 順位, No. ...

125cc

ジュニア区分

さらに見る ライセンス, クラス ...
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関連項目

脚注

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