トップQs
タイムライン
チャット
視点
TBCビッグロードレース
ウィキペディアから
Remove ads
TBCビッグロードレース(ティービーシーびっぐろーどれーす、英: TBC Big Roadrace)は、宮城県・スポーツランドSUGOで1977年から1997年まで開催されたオートバイ・ロードレース大会。
東北放送の主催・後援により21年に渡って開催された。
概要
要約
視点
開催までの経緯

1975年5月に総合レジャー施設としてオープンしたスポーツランドSUGOでは、それまでサマー・フェスティバル・イン・SUGOと題したカートレースやモトクロス、歌手を招いての野外コンサート、キャンプイベントなどを集めた夏休みの催しが行なわれていたが、地元放送局である東北放送(以下 TBC、1952年4月放送開始) の開局25周年を記念して国際的なイベント開催の機運が高まり、TBCの主催により1977年5月に『第1回TBC杯ビッグロードレース』が開催された[1]。国内2輪レースではこれまでに例がない総額500万円という賞金が公表され、「新しいレース環境を作り出す」ことも大会の開催意義とされた[2]。
特色
当初は春と秋の年2回開催。MFJが主催する「全日本ロードレース選手権」には含まれていない独立したイベントとして開催された。カテゴリーはフォーミュラ750レギュレーションを採用し、「日本初のF750(501ccから750cc)だけのレース」として開催された(全日本では350ccから750ccの混走でレースが行なわれていた)。
大会方式は決勝レースが2ヒート制で行なわれ、各ヒートの結果に対して与えられるポイントの合計で総合順位が争われるなど、全日本選手権とは異なるフォーマットで行われた。1978年の第3回大会からはヤマハが契約する海外の有力ライダーを積極的に大会に参加させる方針を採り、日本でのWGP(現MotoGP)開催が中断していた1986年大会までは、WGPライダーが日本のコースで走る姿を見ることができる数少ない機会だった[3][4]。
大会の歴史
スポーツランドSUGOがヤマハ系列会社でありテストコースとして誕生したという経緯があり、ヤマハの契約ライダーである金谷秀夫、浅見貞男が初期の大会を制した[5]。1978年以降はケニー・ロバーツ、パトリック・ポンス、ジョニー・チェコット、バリー・シーン、グレーム・クロスビーなど世界グランプリ (WGP)に参戦するヤマハ契約ライダーが招待選手として多く参戦し、1980年10月の第8回大会からはそれまでのF750レギュレーションからGP500マシンに規定変更されるなど、全日本選手権より一足早くWGPと同カテゴリーでのレース規格を導入。1981年からスタートした全日本選手権での500ccクラスは押しがけスタート方式だったが、それ以後もTBCビッグロードレースはクラッチスタートを採用し続けるなど独自性も継続されていた。1981年10月の第9回大会からは年に一度秋に開催される形式となった。
1982年の第10回大会は、これまでヤマハだけでなく日本の二輪レース界をけん引してきた金谷秀夫の引退レースとなり、決勝レース終了後にスタンドの観衆の前で引退式が行なわれた[6]。翌1983年もケニー・ロバーツのGP500引退レースとなった。1984年はこの年のWGP500チャンピオンを獲得したエディ・ローソン(マールボロ・ヤマハ)が大会を制覇し、同年WGP250ccクラスに参戦していたウェイン・レイニーがローソンのチームメイトとして500ccマシンでのデビューレースとなった[7]。
1986年からは、それまでの決勝2ヒート制から1ヒート制に変更され、同年はエディ・ローソン(500cc)、クリスチャン・サロン(TT-F1)の招聘[8]や、WGP最終戦サンマリノのGP250で優勝を果たした平忠彦の凱旋レースだったこともあり4万人の観衆を集めた[9]。
1987年の第15回大会は、SUGOのコースレイアウトが大改修によりリニューアル後の初開催であった。また、この年より全日本選手権のシリーズ戦に組み込まれての開催となった[10]。1991年から3年間は大会冠スポンサーにラッキーストライクが付いたことで、当時同ブランドがタイトルスポンサーとなっていたスズキWGPチームのケビン・シュワンツ、ニール・マッケンジー、ディディエ・デ・ラディゲス、ダグ・チャンドラー、アレックス・バロスが参戦した。
GP500ccクラスの開催が全日本選手権では1993年シーズンをもって終了となり、1994年はTBCビッグロードレースが開催されなかった。1995年からは全日本選手権の最終戦となる「MFJグランプリ」と併催の形で500ccクラスをTBCビッグロードレースとして開催。WGP500にフル参戦していた伊藤真一、岡田忠之、阿部典史が日本で走りを披露する機会となった。
1997年(第24回大会)は現役のWGP500ワールドチャンピオンであり、3年連続での出場となるミック・ドゥーハン(レプソル・ホンダ)が独走で制覇し[11]、TBCビッグロードレース最後の優勝者となった。
Remove ads
レース結果
Remove ads
テレビ放映
- 東北放送 (TBC) をキーステーションに宮城、関東、名古屋、静岡、大阪、広島、福岡の8局に全国ネットで放映された。1980年代はレース当日ではなく、翌週や約1か月後に録画放映される場合もあった。
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads