トップQs
タイムライン
チャット
視点
1986年の全日本F2選手権
ウィキペディアから
Remove ads
1986の全日本F2選手権は、1986年(昭和61年)3月8日 - 9日に鈴鹿サーキットで開幕し、同年10月31日 - 11月2日に鈴鹿サーキットで閉幕した全8戦によるシリーズである。
1986年の全日本F2選手権 | |||
前年: | 1985 | 翌年: | 1987 |
スケジュール及び勝者
Remove ads
シリーズポイントランキング
要約
視点
- ポイントシステム
※ベスト6戦による有効ポイント制
Remove ads
トピックス
- JTは1986年から、キャビンのプロモーション活動を松本恵二をイメージキャラクターとして行うことになり、CABIN RACINGとして全日本F2、GCシリーズに松本と共に参戦を開始した。キャビンのプロモーション活動はTVCF等を含む大規模なもので、松本は時の人となり同年のベストドレッサー賞を受賞した。
- 前年からジェフ・リース、松本恵二を開発ドライバーとして実戦開発が行われていた5バルブエンジン、ヤマハ・OX66の市販が開始され、ホンダに対して競争力の落ちていたBMWエンジンユーザーがBMWに変えてOX66エンジンを使用した。OX66は開幕から3連勝を記録するが、ホンダはエンジンを電子制御化[1]してこれに対抗し5連勝を記録。ホンダユーザーの中嶋悟が全日本F2を3連覇、星野一義が鈴鹿F2のタイトルを獲得した。
- 中嶋悟はこの年よりイギリス・ロンドン郊外に生活拠点を移し、欧州での経験値を高めるためとスーパーライセンスの獲得を確実なものとするために国際F3000選手権への本格参戦を開始しランキング10位を記録した。全日本F2にはその都度来日して参戦する体制となっていた[2]。
- 元F1ドライバーのマイク・サックウェルがノバ・エンジニアリングから全日本F2に参戦した。ノバは前年型のマーチ・85Jの空力を修正したものを主力マシンとして使用した。空力修正は主にマシン後部に重点が置かれ、リヤカウルの側面を絞ってディフューザー上面の空気の流れを改善。またリヤサスペンションのロワアームに、ウイング状のカバーを装備しダウンフォースを獲得している[3]。サックウェルはこの改良型85Jに乗って第6戦・富士で優勝した。
- レイトンハウスは4月の萩原光の事故死の後活動を中断していたが、第5戦・鈴鹿からイヴァン・カペリをドライバーとして活動を再開した。
脚注
参考資料
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads