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2003年のCARTシーズン

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2003年のCARTシーズンは、シリーズ25回目のシーズン。CARTが運営する最後のシーズンとなった。2月23日のフロリダ州セントピーターズバーグで開幕し、10月26日のオーストラリアサーファーズ・パラダイスが最終戦であり、18戦で争われた。

2003年のCARTシーズン
前年: 2002 翌年: 2004

第19戦がカリフォルニア州フォンタナで11月9日に開催予定であったが、山火事のためキャンセルとなった。シリーズチャンピオンはポール・トレーシーが獲得し、ルーキーオブザイヤーはセバスチャン・ボーデであった。シーズン後にCARTは経営破綻し、シリーズは翌年からチャンプカー・ワールド・シリーズの名称で開催された。

参加チームとドライバー

要約
視点

ホンダトヨタIRLに転向したことにより、コスワースがCARTシリーズ唯一のエンジンサプライヤーとなった。タイヤはブリヂストンが供給を継続した。シリーズは2つのサプライヤーの名を冠し、「ブリヂストン・プレゼンツ・ザ・チャンプカー・ワールド・シリーズ・パワード・バイ・フォード」とされた[1]

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チームの変更

ホンダトヨタがCARTと袂を分かち、それに伴って4つのチームがIRLに転向した。チップ・ガナッシ・レーシングアンドレッティ・グリーン・レーシングチーム・グリーンチーム・モトローラが統合してできた新チーム)、モー・ナン・レーシングである。一方、コンクエスト・レーシングはIRLからCARTへ参戦した[3]。チーム・レイホールとフェルナンデス・レーシングはCARTとIRLの両シリーズに1台ずつ参戦した。前シーズンはパートタイムで参戦していたデイル・コイン・レーシングはフル参戦することとなった。

4つのチームが新規参入した。昨年までブリティッシュ・アメリカン・レーシングF1に参戦していたクレイグ・ポロックケビン・カルコーベンと共にPKレーシングで参入[4]、また、長年ロケットスポーツ・レーシングでトランザム・シリーズに参加していたポール・ジェンティロッティがチームを拡大してチャンプカー・シリーズに参入した[5]。カルコーベンとジェンティロッテイはCARTの破産後、その資産を買い取りシリーズのオーナーとなるグループの一員であった。F1とチャンプカーでシリーズ優勝を遂げたエマーソン・フィッティパルディと、起業家のジェイミー・ディングマンがティアゴ・モンテイロを起用してフィッティパルディ=ディングマン・レーシングとして参戦した[6]。また、ステファン・ヨハンソンはアメリカン・スピリット・チーム・ヨハンソンを結成して参入した[7]

ドライバーの変更

2003年シーズンはチーム・ラインナップが大きく変化したことから、多くの新人がデビューすることとなった。開幕戦のセントピーターズバーグには19名が参加したが、そのうちの9名がルーキーであった。その中に2002年のフォーミュラ3000チャンピオンのセバスチャン・ボーデも含まれた。ボーデはニューマン・ハース・レーシングから参戦、参加初戦でポールポジションを獲得し、シリーズ4勝を挙げシーズン順位も4位で終えた。ウォーカー・レーシングは2人のルーキー、ロドルフォ・ラヴィンとダレン・マニングを起用した。マニングは実際には2002年にイギリスのロッキンガム・モーター・スピードウェイでデビューしていたが、シリーズではルーキーと見なされた。3つの新規参入チームがルーキードライバーを起用した。フィッティパルディ=ディングマン・レーシングはティアゴ・モンテイロを起用し、コンクエスト・レーシングはマリオ・ハーバーフェルドを起用、PKレーシングはパトリック・レマリエを起用した。

以前から継続して参戦していたドライバーたちも新たな環境を実感することとなった。チップ・ガナッシ・レーシングはIRLへ転向し、ニューマン・ハース・レーシングのブルーノ・ジュンケイラが、2002年限りでF1に転向したクリスチアーノ・ダ・マッタに代わって#1で出走することとなった。また、チーム・グリーンもIRLに転向したため、ポール・トレーシーはチーム・プレイヤーズに移籍した。トレーシーは結果として自らの新たなチームに栄冠をもたらした。アレックス・タグリアーニはチーム・プレイヤーズのシートをトレーシーに取って代わられたが、ロケットスポーツ・レーシングに自らのシートを得た。チャンプ・カーの長老とも言える立場であったジミー・バッサーは、チーム・レイホールが参戦態勢を縮小したためアメリカン・スピリット・チーム・ヨハンソンに加入した。バッサーのチームメイトはルーキーのライアン・ハンター=レーイであった。ハーディス・コンペティションは参戦態勢を拡大し、ロベルト・モレノを起用した。

体勢を変更しなかったチームはごく僅かであった。プレイヤーズのパトリック・カーペンティア、ハーディズのマリオ・ドミンゲス、チーム・レイホールのミチェル・ジョルディンJr.、パトリック・レーシングのオリオール・セルビア、エイドリアン・フェルナンデスが昨年に引き続いて参戦した。

シーズン中の変更

  • アレックス・ユーンが第2戦のモンテレイからロベルト・ゴンザレスに代わってデイル・コイン・レーシングの11号車をドライブした[8]
  • スポンサー関係のトラブルでユーンはそのシートを失い、ミルウォーキーからはガルター・サレスがドライブした[9]
  • シーズン緒戦の振るわない戦績から、PKレーシングはパトリック・レマリエに代えてラグーナ・セカで同地でのレースに実績のあるブライアン・ハータを起用した[10]。ハータはその後アンドレッティ・グリーン・レーシングからIRLにフル参戦したため、次戦のポートランドからマックス・パピスが起用された[11]
  • ラグーナ・セカではまたデイル・コイン・レーシングがガルター・サレスに代えてジェフ・ボスを起用、11号車をドライブした[12]
  • デイル・コイン・レーシングのドライバーシャッフルは止まらず、ポートランドでガルター・サレスが復帰、ジョエル・カマティアスに代わって19号車をドライブした。サレスはシーズン終わりまで19号車をドライブしたが、10戦のトロントと16戦のマイアミでは以前の契約が残っていたため、アレックス・スペラフィコがドライブした[13]
  • PKレーシングはF1のベテラン、ミカ・サロを終盤の4戦で起用した[14]
  • 2名のメキシコ人ドライバーがメキシコシティでスポット参戦した。ハーディス・コンペティションはロベルト・モレノに代えてロベルト・ゴンザレスを起用、ウォーカー・レーシングはサードカーを投入しルイス・ディアスを起用した[15]
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レース

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シリーズ結果

要約
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レース結果

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ポイントシステム

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ボーナスポイント

  • 1 point to fastest driver in a qualification session (2 sessions on road and street course events, 1 session for oval events).
  • 1 point to driver who leads the most laps.

ドライバー

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ネイションズカップ

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ドライバーズポイント

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* アレックス・タグリアーニはミルウォーキーでポールポジションを獲得したが、予選セッションが雨で中止されたためボーナスポイントは加算されなかった。スターティンググリッドはプラクティスタイムで決定した。

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参照

外部リンク

関連項目

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