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3DOのゲームタイトル一覧

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3DOのゲームタイトル一覧(スリーディーオーのゲームタイトルいちらん)では、アメリカのThe 3DO Companyが提唱した32ビットマルチメディア端末の規格・3DO対応として全世界で発売されたゲームソフトを発売順に列記する。

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発売されたソフトの変遷

要約
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エレクトロニック・アーツ(以下:EA)の創業者のトリップ・ホーキンスはThe 3DO Companyを設立し、規格としての3DOを提唱した[1]

3DO社はあくまでも規格の提唱者にすぎず、松下電器産業三洋電機金星電子といった企業がハードを製造していた[2]。また、ソフトメーカーとしてはホーキンスと縁があったEAが早い段階で3DOに参加しており、一部の作品は日本でも発売された[1]。EA以外にもアクレイムといったサードパーティーが参入した[2]

1993年10月、松下電器産業はアメリカでインタラクティブ・マルチプレイヤーとして3DOに対応した機種を発売する[2]。北米でローンチタイトルとして発売されたのが『クラッシュ・アン・バーン英語版』のみで、ライターの水口真と箭本進一は雑誌「ゲームラボ」2017年 4月号に寄せた記事の中で、ソフト不足にあえいだこのハードの運命を象徴しているようだと語っている[3]。その後、北米においては、700ドルというハード価格とラインナップ不足によって苦戦し、その後ハード価格を値下げしたものの、改善には至らなかった[4][2]。また、『Plumbers Don't Wear Ties[5]や『DOOM』[6]のように悪評がついてしまった例もあったほか、"B.I.O.S. Fear"のようにお蔵入りとなったものもあった[7]

日本において、3DO対応ハードとして松下電器産業から「3DO REAL」が1994年3月20日に発売され、それから半年後の1994年10月1日には三洋電機から「3DO TRY」がそれぞれ発売された[8]。当時はマルチメディアが注目されていたことだけあって、各業界からの参入が相次ぎ、ゲーム以外にもデータベースソフト(例:『ゴルフ場マルチメディア新書 裾野カンツリー倶楽部編』)や、教育用ソフト(例:『ナオコとヒデ坊』シリーズ)が発売された[9]。このほかにも『ポリスノーツ』や『スーパーストリートファイターII X』といった他ハードの移植版が人気をけん引した[10]

一方、3DOには明確なプラットフォームホルダーがいないがために表現規制が緩く、『THE 野球拳 SPECIAL』といった成人向け作品も続出した[11]。また、『ウェイ・オブ・ザ・ウォリアー』のように生々しい暴力表現を含んだ作品や[1]、『ウルフェンシュタイン3D』のように他機種版では削除された要素が復活した作品もあった[12]

ほどなくして、3DOは1994年の後半に登場したセガサターンPlayStationに押されてしまう[12][4][13]。ハード末期の1995年に発売された作品のうち、ゲームデザイナーの飯野賢治による『Dの食卓』(1995年4月)は、当時では珍しかった3DCGのムービーをふんだんに取り入れたことや映画的な演出が話題を呼び、マルチメディアグランプリ'95では通商産業大臣賞を受賞した[14]。また、同じ年に発売された『ドラえもん 友情伝説ザ・ドラえもんズ』ではゲストキャラクターであるドラえもんズの人気が高まり、のちに彼らを題材とした映画やテレビスペシャルも展開された[15]。他方、この年には3DOの後継規格・M2が松下電器産業に売られたものの後継機種は出ず、日本においては1996年6月28日に発売された『井出洋介名人の新実戦麻雀』を以てソフトの供給を終了した[12]。『3DOマガジン』1996年5月/6月号によると、この時点での3DOユーザーが40万人いたとされているものの、新作が大幅に減少しており、お蔵入りとなった作品も続出していたという[16]

短命に終わった要因として、様々なことが挙げられている。セガの奥成洋輔は3DOが次世代機としてアピールすべき部分を読み違えたことが敗因だと分析しており、1993年までの次世代機は音楽や映像表現が期待されていた一方、1994年にはポリゴンによる3DCGが花形になったと語っている[4]。ほかにもハード価格の高さや、不十分なソフトのラインナップ、さらにはゲームメーカーではない松下電器産業がプロモーションを担ったことも問題点として指摘されていた[13]。また、『3DOマガジン』1996年5月/6月号ではユーザーが後悔するほど中身の薄い作品までもが世に送り出されたことも指摘しており、作り手が軽い気持ちで作ったと感じさせる例として『マカロニほうれん荘インタラクティブ』や『モンタナ・ジョーンズ』を挙げている[17]

一方、韓国では金星電子がライセンスを取得して「3DO ALIVE」を発売した[18]。1996年の時点ですでに3DOは凋落しており、この年に韓国で発売されたソフトの1つである『The Eye of Typhoon』は存在感を示すことができなかった[19]

3DO用ソフトの中には、『Dの食卓』のように同世代の競合機へ移植されたものもあった[14]。また、性描写を含んだ作品の一部は成人向けに相当する「X指定」を設けていたセガサターンにも供給された[20]。時代が下ると、『Plumbers Don't Wear Ties: Definitive Edition』[5]やKilling Time: Resurrected』[21]のようにその当時の現行機種に移植されたり、『The Eye of Typhoon』のように復刻版として3DO用ソフトが発売される例もあった[19]


発売時の製品コードには複数ある。基本は2種類で『Dの食卓』など三洋電機から販売された製品にはIMP、『アローン・イン・ザ・ダーク』および『スーパーストリートファイターII X』などの松下電器産業から販売された製品にはFZで始まるコードが振られていた。例えば『Dの食卓』はIMP-SA0701、『アローン・イン・ザ・ダーク』『スーパーストリートファイターII X』はそれぞれFZ-SJ2951、FZ-SJ3851である。例外的に、3DO権利元だったエレクトロニック・アーツの「E3D」や、独自流通経路を持っていたポニーキャニオンの「PCRA」、エレクトロニック・アーツ・ビクターの「I3D」、セタの「S」などが存在する。 基本的には三洋か松下のどちらかのカタログに掲載されており、どちらかの流通経路でもって販売された。ただしEレーディングが掲載されるもので、AOや16レーディングは基本的に掲載されなかった。

また三洋の総合カタログには『Dの食卓』が掲載されていたが、松下のカタログには掲載されていなかったなど、製品コードによる取り扱い流通経路が2系統存在した。その為、三洋パートナーでは松下系の商品は取り寄せに時間がかかったり、ナショナル・パナソニックショップでは逆に三洋系の商品に時間がかかったりなど、一部商品の流通に支障を来したこともある。

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発売されたタイトル

要約
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本節の「発売されたタイトル一覧表」には合計で「309」のゲームタイトルを発売日・発売元とともに列記している。また「地域ごとの発売年一覧表」には1993年から1996年に発売されたゲームタイトル数を地域および年に分けて列記している。

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非売品

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発売されなかったタイトル

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脚注

参考文献

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