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THE MODS
日本のロックバンド ウィキペディアから
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THE MODS(ザ・モッズ)は、日本のロックバンド。1974年に前身のバンド「開戦前夜」を発展させて結成[6][7]。1981年にメジャーデビュー。80年代のパンク・ロックシーンを牽引したバンドの1つである。
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メンバー
元メンバー
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デビュー前のメンバー
- 開戦前夜
- 森山達也、浅田孟
- THE MOZZ
- 森山達也、白浜久、浅田孟、川嶋一秀(白浜は後にARB、浅田はサンハウス、ARB、川嶋はサンハウス、SHEENA & THE ROKKETSで活動。)
- THE MODS
- #1 森山、北里、七田、白浜、黒田
- #2 森山、北里、川嶋、樋口、後藤
- #3 森山、北里、七田、樋口、後藤
- #4 森山、北里、宮本、後藤
- #5 森山、北里、苣木、梶浦、白浜、都留
バイオグラフィ
インディーズとして活動
1974年、ブリティッシュビートに多大な影響を受けた森山達也は、福岡県福岡市で第一期「THE MOZZ」を結成[7]。数度のメンバーチェンジを行ないながら次第に頭角を現していく。当時隆盛を極めつつあった「めんたいロック」と呼ばれるムーヴメントの中心的存在になったが1975年に解散し、翌1976年に第二期「THE MODS」を結成[7]。
1979年、映画『狂い咲きサンダーロード』のサウンドトラックに参加。レコーディングは森山、北里と元MODERN DOLLZの苣木、梶浦の4人で行い、第三期「THE MODS」となる[6][7]。
1980年、福岡の親不孝通りにあったライブハウス『80's FACTORY』で行われた2日間のコンサートで、「80's FACTORY」の歴代最高動員記録を樹立[7]。その後上京し、テレビ神奈川制作の音楽番組『ファイティング'80s』にレギュラー出演する。このことがきっかけでTHE MODSの名は全国区となり、新宿LOFTで行なわれた東京での初のワンマンコンサートは瞬く間に売り切れとなる。
メジャーデビュー
1981年、EPIC・ソニーと、CBSの2社同時契約し、ロンドンでレコーディングを開始する[9]。6月21日にシングル「崩れ落ちる前に」、アルバム『FIGHT OR FLIGHT』でデビュー。この年、2度目の来日公演を果たしたTHE JAMの前座を務めた[6][10]。11月には再びロンドンに渡り、ライブハウス『マーキー』にて3日連続のコンサートを行ない、最終日には満員となる。なお、その際のバンド名は、モッズとの混同を避けるために「NEWS BEAT」とした[6]。
1982年6月20日に、4000人を動員した日比谷野外音楽堂にてデビュー1周年コンサートを行なう。途中、記録的な集中豪雨に見舞われたにもかかわらず、誰1人として帰らなかった聴衆に応えて最後までステージをこなした。後に「雨の野音」という名で語られている[6][11][12]。8月8日には、長崎を襲った豪雨の救済コンサートを福岡国際センターで開催。義援金を被災地へ送った。
「激しい雨が」のスマッシュヒット
1983年、シングル「激しい雨が」をリリース。この楽曲は、マクセル『UD I』のCMソングに使用され、スマッシュヒットを記録した。続く1984年には、TBS系ドラマ『もう高校はいらない!』[注釈 1][13]のエンディングテーマに使用された「バラッドをお前に」をリリースし、ヒットチャートの上位にランクインした。
メンバーの梶浦雅裕の脱退と新メンバーの加入
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2007年、ドラムの梶浦雅裕が脱退[8]。2009年1月1日に、サポートメンバーとして活動していた佐々木周が正式に加入した[14]。
影響
デビュー以降、多くのミュージシャンに影響を与えており、2001年にトリビュート・アルバム『THE MODS TRIBUTE SO WHAT!!』[15]、2006年に『THE MODS TRIBUTE SO WHAT!! VOL.2』が発売されている[16]。中でも福山雅治はラジオや雑誌で何度も彼らの影響を受けたことを公言しており、ラジオで自身のルーツの話となるとTHE MODSに触れ、曲もオンエアしている[17]。
ディスコグラフィ
シングル
限定シングル
配信限定シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
ミニ・アルバム
セルフカバー・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
映像作品
BOXセット
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タイアップ一覧
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脚注
外部リンク
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