トップQs
タイムライン
チャット
視点
佐双定雄
ウィキペディアから
Remove ads
佐双 定雄(さそう さだお、1891年(明治24年)2月3日[1] - 1928年(昭和3年)5月5日[2])は、明治時代から昭和時代の華族(男爵)。造船技師。位階は従四位。
生涯
1891年2月、海軍造船総監を務めた佐双左仲と母・嘉弥の長男として生まれる。1905年10月9日、父が卒去したことにより、家督を相続した。1907年、造船に尽力した父左仲の勲功により、16歳にして華族に列し男爵を授けられた。1917年、東京帝国大学工科大学造船学科を卒業。三菱造船会社の長崎造船所技師となった。その後横浜船渠会社に勤務した。
定雄が1928年に死去した後、1931年選定により、細川立興子爵の次男の立業が男爵家を継いだ。立業は1920年からアメリカに渡り、イギリスやフランスにも留学し、留学期間は6年にも及んだ[3]。
家族
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads