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品川高久

日本の安土桃山時代~江戸時代初期の武士。江戸幕府旗本。戦国大名今川氏真次男で、高家旗本品川氏初代当主 ウィキペディアから

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品川 高久(しながわ たかひさ)は、江戸時代初期の旗本今川氏真の次男。高家品川家の祖である。

概要 凡例品川高久, 時代 ...

生涯

慶長3年(1598年)、徳川秀忠に初めて御目見した。このとき、「物加波」という馬を下賜されている。慶長6年(1601年)、上野国碓氷郡内において1000石を与えられた。高久は当初は今川姓を称していたが、数代前の先祖の今川範忠室町幕府将軍の足利義教から与えられた「今川姓は範忠の子孫かつ嫡家に限り、分家庶家は今川姓を許されない(天下一苗字)」という由緒を重んじた秀忠の意向により、別家である高久は江戸の屋敷地の地名にちなんで苗字を「品川」に改めた。

寛永16年(1639年)8月4日死去、享年64。江戸市谷万昌院に葬られた。以後代々の葬地となった。

正妻は鷲尾筑後の娘。2男2女あり。長男高如高家旗本、次男高寛は一般の旗本になった。娘の1人は岡山弥清に嫁ぎ、今川家14代当主氏堯を産んだ。

参考文献

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