トップQs
タイムライン
チャット
視点
喜連川氏春
ウィキペディアから
Remove ads
喜連川 氏春(きつれがわ うじはる)は、江戸時代中期の大名。下野国喜連川藩の第4代藩主。戌王丸、右兵衛督[1]。
生涯
寛文10年(1670年)、宮原義辰の次男として生まれる[1]。母は某氏[1]。
喜連川昭氏の養嗣子だった氏信(昭氏の実弟)が同年(寛文10年)5月に早世していたため、同年7月23日、昭氏の養子となり、その娘を室とした[1]。
天和2年(1682年)7月28日、13歳のとき、徳川綱吉に初めて御目見した[1]。正徳3年(1713年)11月、養父・昭氏が死去[1]。正徳4年(1714年)1月19日、遺領を継いだ[1]。
系譜
父母
兄弟姉妹
- 宮原義真
- 喜連川氏春
- 女子 - 杉浦政令の妻
室
- 喜連川昭氏の娘
子女
脚注
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads